●刀伊の入寇 といのにゅうこう
AD1019
1019年(寛仁3)女真(じょしん)族の一部族が九州北部に来襲した事件。刀伊とは高麗(こうらい)が北方の女真族をさした呼び名で,野蛮人を意味する。この年3月末,刀伊の兵船50余隻が壱岐・対馬の二島を襲い,島民を殺害したが,さらに4月7日九州北部の海岸に来襲し,数カ所に上陸して荒らしまわり,多数の男女を船に連れ去った。大宰権帥(だざいのごんのそち)藤原隆家(たかいえ)は在地の豪族を率いて防戦につとめ,ついに寇賊を撃退した。賊船はさらに高麗の東海岸を襲ったが,高麗の兵船に打ち破られて北方に逃げ去った。9月に入って,高麗は救出した日本人270人を大宰府に送り届け,一件落着した。隆家は藤原道隆の子で,若いときには兄の藤原伊周(これちか)を助けて藤原道長と争ったこともある剛直な公卿である。この入寇事件の知らせは中央政府を驚かせたが,その対応ははなはだにぶく,公卿の因循姑息な政治感覚を露呈するだけであった。