●ドイツ民主共和国 ドイツみんしゅきょうわこく
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第二次世界大戦後,旧ドイツの東半分,ソ連占領地域に成立した社会主義国で,東ドイツと呼ばれることが多く,D. D. R. と略記される。【成立】ドイツの無条件降伏後,アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4国によって,管理理事会ができたが,1948年2月の管理理事会で,ドイツ政策をめぐってソ連代表が退席し,ベルリン封鎖によって東西問題が緊張するなかで,西側諸国がドイツ連邦共和国(西ドイツ)を成立させたのに対抗して,ソ連占領地区でも,1949年5月に憲法を定め,10月7日にこれを公布して国家が成立した(ドイツ連邦共和国の項,参照)。1954年3月に主権国家となった。首都は東ベルリンで,西ベルリンとのあいだには,東ドイツ側が築いた「ベルリンの壁」がある。
【国土】面積は約108,000平方kmで,人口は1,675万人である。北はバルト海に面し,西は西ドイツと,南はチェコスロヴァキアと,東はポーランドと国境を接する。なお,ケーニスベルク(現カリーニングラード)とこれに隣接したプロイセン東部を,第二次世界大戦後,ソ連に割譲した。地勢は平坦地が多く,バルト海に面する北部では湖沼の多い低地帯となっている。南へ進むにつれて,丘陵地となり,南端では山岳地帯となっている。南西部にハルツ山脈が走り,チューリンゲン森林が西ドイツ国境にある。ポーランドとの国境をなすオーデル川・ナイセ川をはじめ,河川が多く,運河が発達している。バルト海沿岸と南部山岳地帯の冬は長く,厳しいが,ほかは一般的に温暖地といえる。
【政治と経済】東ドイツのドイツ共産党は国家成立時,ソ連の指導と援助をうけて,1946年,社会民主党と合同して,社会主義統一党となった。社会主義統一党の指導で人民会議という民衆組織が創設され,その統合機構として,人民評議会が置かれたが,それが1949年10月以後,一院制の人民議会となっている。“マルクス=レーニン主義の党の指導による社会主義実現”を目標にしているので,事実上は社会主義統一党が実権を握っている。元首は国家評議会議長があたる。国家は15地区で構成されている連邦であるが,西ドイツに比して,地方地区の権限は弱く,中央集権的色彩が濃い。概して,初期のピーク大統領(一代のみ)やウルブリヒト国家評議会議長・グローテヴォール首相以来,ソ連の忠実な友邦としての性格が強くワルシャワ条約機構やコメコン(経済相互援助会議)に加入して,その有力なメンバーとなり,西ドイツは長く対立的であったし,西側諸国との関係も緊張していた。しかし近年になって,社会主義諸国との協力は基本にしつつも,緊張緩和と平和維持を理念とし,西側諸国との関係改善に成果をあげ,とくに1972年の東・西ドイツ基本条約調印以来,その関係は以前と比較にならないほどのものになっている。
旧ドイツの農業地帯で,戦災で荒れた国土を社会主義的に再建するため,計画経済に向けて,1951年以来,数次の5カ年計画が実施され,私企業も残しながら,工業の国有化・農業の生産組合化が進められた。現在,第6次5カ年計画(1981〜85)を実施中で,労働力の不足・原油の値上りなどの困難に直面しているが,機械・化学・船舶などの諸工業を発達させ,小麦・大麦・ライ麦・ジャガイモの生産をあげている。通貨単位はマルク。
【社会と文化】社会保障制度が進み,失業者はいない。労働者はすべてドイツ労働組合連盟に加入している。経済的には,西ドイツに対して劣勢であることを否定できないが,政府が国家事業として,文化やスポーツの振興を取り上げ,ベルリン国立オペラ劇場をはじめ,多くの劇場が水準の高い演出をしているし,オリンピックでの活躍も注目されている。ベルリン(フンボルト)・ライプツィヒ・ハレ・イエナなどの伝統的大学の学生に対する奨学金制度も行きわたっている。国民の生活水準も向上し,安定してきている。(ドイツ連邦共和国)