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●ドイツバロック文学 ドイツバロックぶんがく

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD 

 中世末期,都市を中心に市民文化が栄えたが,17世紀に入ると文化の中心は再び都市から宮廷へ移り,それとともに文学も復古的色彩を帯びる。その最大の要因はスペインに発した反宗教改革であった。権威は再び教会へ,宮廷へと集中された。宮廷は教会と並んで,天国の秩序の地上における写し絵と考えられたのである。バロック時代と称される一時期を特徴づけるものは,なによりも〈秩序の思想〉であった。音楽も美術も建築も,そしてまた文学も,すべてがこの秩序の現世的呈示のために捧げられたのである。そして,神の摂理の称揚は同時に,聖書の教えに従って,この世における万物の〈無常〉を説いた。しかし,ルネサンスから宗教改革を経て,しだいに人間性の解放に目ざめていた当時の人々は,感性的現実と霊的目標とのあいだの激しい緊張関係につつまれた。彼らにとって人生は,まさに二面の顔をもつヤヌスの頭であった。バロックは汎ヨーロッパ的な現象であるが,それでもドイツには特殊な事情があった。小国分立で絶対王朝を知らない政治状況では,神の統一的英知を地上にかいまみることは許されなかった。また世紀前半にドイツを主戦場とした三十年戦争は,宗教と現実との乖離を示し,現世の無常をことさらに深く感じさせたのである。その痛根の思いは文学にもかげをとどめて,ヤーコブ=ベーメ(1575〜1624)の〈新神秘主義〉に源流をもつ,個人の内なる魂と神との直接の触れ合いに無上の慰めを見出す声は,当時の作品の随所に聞きとれる。ドイツ人の内面化・孤独化への傾向は,すでにここで養われたのである。それでも世紀前半には,汎ヨーロッパ的な文化気運に即して,とくに上流文人たちのあいだで〈技巧主義〉の文学運動が展開された。なかでもオーピッツ(1597〜1639)は,古今の名作の翻訳により文学の模範を示したほか,『ドイツ詩学の書』(1624)を著して,初めてドイツ語の詩の韻律法を定めた。彼の著作を含む当時の多くの詩学書の根底には,文芸もまた神的秩序のなかに組み入れられ,〈正しく言葉を置く技術〉は神意に即したものという考えがあった。そのことは文学用語としてのドイツ語の地位を確立した。古典語への依存をやめ,ほかの西欧諸国語と並んで,ドイツ語による詩作の価値が認められたのである。それに伴ってドイツ語の質の向上が求められ,イタリア・フランスの先例にならって各地に〈言語廓清(かくせい)協会〉が設立された。一方では近代国家の成立に伴う民族意識の高揚がドイツに波及したことはみのがせないが,文学史上さらに重要なことは,オーピッツを師とする当時の文人の理知的な運動が,のちの啓蒙主義さらには古典主義に多大の影響を与えたことである。ドイツ=バロック文学は2人の卓越した詩人を残している。叙事文学の領域では,庶民階級出身のグリンメルスハウゼン(1621?〜1676)が,今日でもなお愛読されている長編小説『阿呆物語』(1669)を書いた。これは当時主流であった宮廷文学と異なり,スペインのピカロ小説の系譜をひくもので,三十年戦争を背景として有為転変の世の中に投げ出された主人公の数奇な運命を描いている。結末で主人公は憂き世を去って隠者となり,神と和合して暮らす。無常と神による慰めが全編の基調音であるが,しかしこの作には作者自身の体験が秘められており,この作の活力は生の実態から選り出ているといえる。グリンメルスハウゼンとともにドイツ小説は本格的な歩みを開始した。叙情詩および戯曲の領域では,グリュフィウス(1616〜1664)が新境地を開いた。彼は学識ある高級官吏であったが,戯曲ではしばしば時事問題を取り上げ,無常を現実の相で示し,それに耐えて神的栄光に至る人間の姿を示した。無常とその克服は彼の叙情詩の主題でもあり,それはことに彼の戦争体験が教えたものであった。

 以上のほか,バロック文学のなかには多種多様なものが含まれる。一世紀に及ぶ期間の文学現象を一義的にとらえることはできない。しかし最も重要な線はここに引かれたとおりである。やがて世紀末のかなり長い空白期間を経て,ドイツ文学は18世紀において新たな局面を迎える。