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●ドイツ自然主義 ドイツしぜんしゅぎ

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD 

 1882年ベルリンにおけるハルト兄弟による雑誌『批評の戦い』の発刊や1885年ミュンヘンでのコンラートによる週刊文芸誌『社会』の発刊とともに,ドイツにおいても自然主義文学運動が盛んになる。とくに演劇の分野において著しい成果がみられるが,その場を与えたのが1889年イプセンの『幽霊』やハウプトマン(1862〜1946)の『日の出前』の上演で活動を始めたオットー・ブラーム指導下にあった会員制上演組織『自由舞台』であった。典型的な〈環境劇〉『日の出前』における悲惨な生活環境の〈自然に忠実な〉描写は,この処女作を賛否両論の渦に巻き込んだが,作品の成立に際しては,自然科学的な正確さ・精密さでもってできごとの再現を意図するホルツ(1863〜1929)とシュラーフ(1862〜1941)の共作短編集『ハムレット親爺』(1889)の影響が大きい。

 〈徹底自然主義〉と呼ばれるホルツの理論は『芸術−その本質と法則』(1891)にまとめられ,そこで〈芸術=自然−X〉の公式がたてられる。この変数Xに含まれた主観的要素を0に近づける芸術様式は彼の考えではドラマであり,シュラーフとの共作『ゼーリケ一家』(1890)はその偉大な実験であった。一方,ハウプトマンはさらに『平和の祝い』(1890),『寂しき人々』(1891),『織工』(1892),『ビーバーの毛皮』(1893)など問題作を発表し,自然主義の完成者と目されるが,彼の悲劇に共通するのは,社会的または運命的な圧力に押しつぶされる受動的な人間の孤独な受苦の姿である。外界の精密な描写はその圧力の強大さを教えるのに役立ち,時に同じ精密さで人間の内面の苦しみを描こうとする。確かにこの悲劇的な受苦の姿は多くの共感を得たが,反面,その〈運命〉の変わらざるものとしての絶対化はしばしば批判の的になる。精密な客観描写に徹するあまりに人間や状況の〈固定化〉に陥りやすいこと,これは社会改革という自然主義運動の本来の志とは合致せず,そこにドイツ自然主義劇に必然的に含まれた矛盾と限界があった。このほかにズーダーマン(1857〜1918)の『名誉』(1889)やハルベ(1865〜1944)の『青春』(1893)などの劇作品がある。