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●ドイツ古典主義 ドイツこてんしゅぎ

ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD 

 古典主義は一国の文学が最高の模範的な成果を生んだ時代をさす概念として用いられるが,ドイツではヨーロッパ各国に遅れて,ようやくゲーテ,シラーに至ってその時代を迎えた。目標は古典古代の教養材の摂取と現代におけるその再現であったが,ルネサンス以降たえず追い求められてきたといえるこの目標は,ヴィンケルマン以来,ローマではなくてギリシアに置かれた。ヴィンケルマンの主張する〈高貴な単純と静かな偉大さ〉が,アポロ的美の指針として称揚されたのである。またドイツでは敬虔主義に培養された多感主義,シュトゥルム=ウント=ドランクの強烈な主観主義と感情過多が,非合理的なものの意義を教えてディオニソス的芸術の魅力を浸透させていたので,その克服の過程で生まれたアポロ的造形美の理想は,それだけに内容が豊富であったといえる。古典主義の直接の下地をつくったのは啓蒙主義であって,啓蒙主義の現世思想が現実の人間と世界の肯定的把握を可能にし,自然と精神・自由と形式・自然律と道徳律の調和をめざす文学を生み出したのである。古典主義の特色は高度の象徴性にあり,個的な事象は普遍的なものの典型として呈示され,閉ざされた形式のなかに全宇宙が反映された。個人は全体と融和し,このようにして〈古典主義的ヒューマニズム〉が生まれた。しかし,象徴的表現に絶対的優位を与えるということは再び現実からの遊離をきたすのであり,ドイツ古典主義は観念論的・理想主義的傾向が顕著であることは否めない。狭義のドイツ古典主義はゲーテのイタリア旅行(1786〜87)以降シラーの死(1805)に至るまでの十数年間をさし,厳密にはこの2人の詩人によってこの期間に生み出された作品のみに適用される。一名〈ワイマル古典主義〉と限定された呼び方をされるゆえんである。ゲーテは〈ドイツには志を同じくする者が集まって文学的訓練にいそしむ場がない〉と嘆いているが,本来古典主義とは集団(階層・クラス)を前提としているのである。ドイツの政治的・社会的事情が生んだ文化面での立ち遅れであるが,それに伴って2人の仕事は個人的性格が強い。ことにゲーテにおいては,純粋に人間的なことのみが表面に立ち,ヒューマンな自己形成に努力が傾倒されている。それ以外の発展の可能性がないことを彼は知っていたのである。シラーの場合は少し事情が異なり,カントの二元論に育成された彼の両極性は,地上における自由の実現,自然と精神の対立の現世における止揚を求めて苦闘したが,それはたぶんに抽象的次元にとどまった。ゲーテは〈経験〉に,シラーは〈理念〉に立脚しているといわれるゆえんである。しかし文学に関して共通の理解も多く有し,2人のあいだで交わされた1,000ページにも及ぶ往復書簡は,ドイツ古典主義文学理論の貴重な資料である。ここから典型性・象徴性・人間性・調和的秩序などの諸特性が主に知られるのである。ゲーテの古典主義的戯曲には『イフィゲーニエ』(1786),『タッソー』(1789)などがあり,これらは自己の体験と規範的形式との見事な一致を示している。シラーには『ヴァレンシュタイン』(1799),『マリア・スチュアルト』(1800),『メッシーナの花嫁』(1803)などがあるが,シラーの気質に即して,いずれも〈理念劇〉である。叙事作品ではゲーテに,ドイツ教養小説の始祖となった『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796),および古典的六脚韻で書かれた『ヘルマンとドロテア』(1797)がある。シラーは叙事文学では成功しなかった。抒情詩の領域ではゲーテに『ローマ悲歌』(1778〜1780)をはじめ,古典的理想に感性的表現を付与した作があり,これに対してシラーは多くの〈思想詩〉を残した。ゲーテとシラーの素質は,生前彼らが認めていたとおり大きく異なるが,2人の作品はいずれもドイツ文学の至宝である。なお古典主義時代にも,一方では敬虔主義啓蒙主義の文学がいまだに生き残り,また一方ではすでに,ロマン主義の文学運動が胎動を開始していたことを忘れてはならない。ロマン主義はドイツ古典主義の土壌の上に新たな花を咲かせているのである。