●ドイツ観念論 ドイツかんねんろん
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ドイツ理想主義とも呼び,認識論のうえで,世界を観念(イデー)とみる立場をいう。観念をどのように解するかについては,さまざまな立場がある。真理の絶対性を否定したソフィストに対して,絶対的なイデーを説いたソクラテスの立場もその一つであるが,近代哲学のなかでは,カントに始まるドイツ哲学の主流が世界的にも大きな影響を与えた。観念論は世界の認識にかかわるものであるだけに,単に唯物論と対比的に考えられるばかりでなく(この場合,観念論は唯心論と呼ばれることがある),他の学問に及ぼした影響も少なくない。【カント】デカルトに示されるような大陸的(フランス的)な唯理論とイギリスの経験哲学を総合して,批判哲学を確立したカントの観念論は客観的観念論先験的と呼ばれる。それは,主観的観念論が客観を感覚の総合である存在としてとらえ,それゆえに個人の主観によるものとし,このため純粋にこの立場に立つ限り,客観的認識を求められないのに対し,いわゆる“コペルニクス的転換”によって確立したものである。カントは客観的観念論を先天的(アプリオリなもの)とし,個人を超えたものであるがために普遍的であるとした。この思考はそれ以後の観念論に広くみられるものである。
【フィヒテとヘーゲル】フィヒテは,カントが行った批判が原理を欠くものであるとし,諸学の根本にあるものを知識学であるとした。また,カントの実践理性を徹底させて,自我の哲学を樹立した。すなわち自我は行為の主体であり,同時に自我の行為を制限するものでもある。この思想から,フィヒテの観念論は倫理的となり,その晩年には宗教的にとどまらず,神秘的色彩をさえ帯びるに至った。彼のナポレオン戦争への対面の姿勢や『ドイツ国民に告ぐ』に示される民族国家観は,彼の哲学の実践でもあるが,また,すぐれてドイツ的な立場に立ったものであることを物語っており,ロマン主義に強い影響を与えた。
ヘーゲルは,世界を絶対者としてのロゴス(理)の弁証法的論理の発展であるとし,哲学とはこれを追思考するものとした。彼の特色は弁証法を用いて,発展という動的思考を導入したところにある。彼によれば,理念は弁証法的発展の一段階として自然となるのであるから,自然も自然哲学の対象になってくる。法や国も同様である。プロイセン国家は彼に積極的に肯定され,既存秩序の意味付けがなされたといわれる。さらに彼は,世界史を絶対に向う民族の弁証法的発展とみなして,動的歴史観を説いた。これらの思想は法学・国家学・歴史学・自然認識に新しい展開を与え,いわゆるヘーゲル学派を生みだすのであるが,ヘーゲル学派のなかからは,ヘーゲル左派と呼ばれるフォイエルバッハ・ルーゲなどの汎神論者や唯物論者を派生させたのである。
【新カント学派】19世紀末から20世紀初めにかけて,自然科学や技術が発達したこともあって,カントの批判哲学を再検討する動きが生じた。これが新カント学派と呼ばれるものである。この学派は,コーヘンやナトルプを中心に数学的自然科学の基礎付けで哲学の基本と解するマールブルク派とヴィンデルバントやリッケルトを中心に,価値哲学を重点として,文化問題を説く南西(ハイデルベルク)派とに分かれるが,ともに形而上学的傾向を排し,カント精神を当時の学問水準に適合する方法論として深め,観念論を学問的認識の基礎付けにその任務があるとした。とくに南西学派にあっては,全学問体系のなかのそれぞれの学問分野の位置付けを考察し,学問を自然科学と文化科学に分け,その認識・方法の相違を追及して,ともすれば,自然科学およびその方法論のみが学問という名に値するものとする風潮から,人文科学・社会科学を救った。歴史学は,自然科学が法則定立をめざすのに対して,個性記述にその特色があるとされ,歴史学に向けられていた不信感から救済した。それらは,唯物論との関係も含めて,観念論が広く文化一般に影響したことを示している。