●ドイツ印象主義 ドイツいんしょうしゅぎ
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD
19世紀末から20世紀初頭にかけての,いわゆる世紀転換期の文学的動向は,自然主義のあとを受けて,印象主義・象徴主義・ユーゲントシュティール・新ロマン主義などさまざまな呼称をもつ表現様式が,1910年代の表現主義の台頭まで,並存相前後しつつ錯綜した状況を呈している。これら名称の違いは,力点が置かれる表現上の特徴の相違を反映しているといってよいが,反自然主義という創作態度ではむしろ共通するところが大であった。したがって,フランス絵画に源を発する印象主義の時期を特定することが困難であるばかりか,自然主義への反動としての内的なものの重視,すなわち主観の強調とそれに伴う感覚の解放と心理の探索という側面を共有することから,印象主義はしばしば新ロマン主義と同一視される。だが,外界と内面を結び合わせる鋭敏な感性とそれにもとづく洗練された美学,つまり知覚し得た外部を表現に変換する精緻な原理志向といった点に,印象主義の根本的性格がうかがえる。外界の微細な変化の印象の定着をめざすこの態度は,時代の不安を反映した厭世観と無縁ではなく,刻々における生の高揚の享受が同時に美の表現の支えとなる審美的傾向が濃厚で,ことばの色彩感や音楽的響きを信条とし得る詩や韻文劇の小形式が主流をなした。世紀のかわり目に文学活動を開始した作家たち,ハウプトマンをはじめとしてリルケ・ホーフマンスタール・シュニッツラー・ツヴァイクらの初期作品には,デカダンスの雰囲気が支配する。心理主義ないしは神秘主義的な印象主義の性格が顕著にみてとれる。なかでもリーリエンクローン(1844〜1909),デーメル(1863〜1920),ホルツ(1863〜1929)はドイツ印象主義を代表する抒情詩人である。一方オーストリアでは,その風土性・文化基盤からしてドイツ以上に印象主義を受け入れる土壌があったためか,ウィーン印象主義という名称が定着した。批評家ヘルマン=バール(1863〜1934)を中心とする〈若きウィーン派〉はその別称ともいえ,上述のホーフマンスタールやシュニッツラーの初期作品のほか,市井の風俗の軽妙な散文スケッチ集を残したアルテンベルク(1859〜1919)の『私の見るところ』(1896),ベーア=ホフマン(1866〜1945)の小説『ゲオルクの死』(1900),シャウカル(1874〜1942)の『選詩集』(1904)などがある。