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●天龍寺船 てんりゅうじぶね

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 1342年(康永1),天龍寺造営費として銭5千貫文を提供する約束で,室町幕府が公許した対元貿易船。後醍醐天皇の死後,怨霊のたたりを恐れた足利尊氏は,弟直義とはかり,1339年(暦応2)天皇の冥福を祈るために,光厳上皇の院宣により天龍寺を建立しようとした。1341年(暦応4)直義は夢窓疎石に対し天龍寺造営費支弁のため,船2隻を元へ渡すことを免許した。疎石が博多の商人至本(しほん)を推挙したので,直義が至本を綱司に任命した。彼は,貿易の損益にかかわらず,帰国後銭を5千貫文寺に納めることを約束し,幕府は納銭の代償として海賊からの安全を保障した。至本は船1隻を派遣したが,帰国の事情は不明。しかし,派遣翌年より天龍寺造営が急にはかどり工事着手後8年,1345年(貞和1)ごろ完成した。その後,対明貿易時にも天龍寺の名がみえるが,これは天龍寺自ら船の経営者となったもので,元に派遣した天龍寺船とは別のものである。