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●天保の飢饉 てんぽうのききん

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 1833年(天保4)から約5年間,気候不順による慢性的な凶作が続き,全国的な大飢饉となった。1833年(天保4)は,出羽地方の大洪水,関東地方の暴風雨などの災害が重なり,巳年(みどし)の飢饉と呼ばれる大凶作だった。1836年(天保7)関東地方では,6・7・8月の3カ月間に,冷雨が52日もつづく異常気象で大凶作となり,翌年の端境期には,おびただしい死者がでた。米価を初め諸物価は高騰し,そのため一揆・打ちこわしが全国的に高揚した。幕府は,救済策として現米の給与・救小屋の設置・酒造の制限・小売値段の引き下げ・囲米の放出・回米や隠米の禁止を行ったが十分に機能せず,1837年(天保8)大塩平八郎の乱の要因となった。19世紀初頭以降の経済発展による社会的変貌の過程で,自然災害として始まった天保の飢饉は,社会の内部に醸成された諸矛盾をいっそう拡大させ,農村の荒廃,農民・下層町人の離散・困窮をより進め,幕藩体制を根底からゆさぶった。