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●天平文化 てんぴょうぶんか

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 美術史上の時代区分,天平時代の文化。また白鳳時代奈良時代前期に対する奈良時代後期の文化。天平年間(729〜748)を中心とする奈良時代の文化である。この時代は律令国家の展開期であるとともに,当初から中国盛唐文化の成立発展期と歩を並べたため,数次の遣唐使および遣新羅使の往還により,盛唐文化およびその影響下の新羅文化の影響を受け,皇貴族・官人・僧侶を荷担の中心階層として,継受した初唐文化影響下の前代文化を各文化面にわたって高め,仏教文化を基調に諸種の文化相を伴って,仏教的・貴族的・都市的・国際的などの特色をもって平城京中心に展開した。

【仏教】平城京に移建された興福・大安・薬師・元興の四大寺と創建の東大・西大両寺に法隆寺が加わった南都七大寺中心に,鎮護国家仏教として,仏教は諸種の呪術的護国法会を盛行させるとともに学問仏教としても成長し,大仏開眼のころに,南都六宗が成立した。大仏造顕・東大寺造営・国分寺建立決定の天平年間は鎮護国家仏教発達のピーク時であるが,この発達とそれに伴って発揚された天平芸術は仏教美術のみにとどまることなく,書画・工芸などにわたり,旺盛な国家意識のもとで融合された豊かな貴族的側面と国際的側面を特色づけられた現れを見ることができる。東大寺法華堂法隆寺夢殿などの仏堂建築と唐招提寺講堂などの宮殿建築,東大寺三月堂の不空羅索観音像などの乾漆像と同執金剛神像などの塑像は前代の同一技法像をいっそう発達させ,理想と写実が調和した天平彫刻,正倉院の鳥毛立女屏風・薬師寺の吉祥天女像などの絵画など,仏教美術上で上記の特色がみられるが,とくに正倉院御物の家具・調度品・楽器・伎楽面などには唐製のほか西域伝来の工芸品を含み国際性を豊かに示しており,上記の寺塔を含んだ寺院の伽藍配置および建築細部の構造はすべて唐の様式を踏襲するところである。

【国史と地誌】前代白鳳時代の681年(天武9)に始められた国史の編集は,この時代初期の712年(和銅5)の『古事記』,720年(養老4)の『日本書紀』としてそれぞれ完成した。『古事記』は稗田阿礼(ひえだのあれ)の訓読に表記法を工夫して帝紀・旧辞を国語文体で太安万侶(おおのやすまろ)が筆録して奏上した紀伝体書であり,『日本書紀』は舎人(とねり)親王を総裁とする複数の編集官により,神代巻以外を中国の正史を参照した,天皇歴代別編年体として編集された漢文正史である。『古事記』が天皇の支配を強調して神話・伝承を記述するのに対し,『日本書紀』は史実を正確かつ明白に記述しようとし,多くの異説を併記したのは大きな特色となっている。713年(和銅6),政府は諸国に地誌の編集と言上を令した。風土記の編集令であって,郡郷の好字名化・郡内所産の天然資源の色目・土地の良否と山川野の名号の来由・各国の史籍の作成,この4項を内容とする地誌作成令である。国史の編集に資するとともに,諸国の国情と国力を把握することを目的とした令である。5国の風土記が現存し,逸文が諸史料で散見できるに過ぎない。

【文学】中央の大学・地方の国学で官人の養成をはかったが,教科6道のうち文章道がしだいに重きを加え,漢文学の習熟傾向が大となるに及んで漢文学が発達し,多くの漢文学者を輩出した。吉備真備(きびのまきび)・石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)両者は文人の首として名が高く,最古の漢詩集『懐風藻』は751年(天平勝呂3)になり,64人120篇の漢詩を載せるが,なお六朝風にとどまり内容空疎で形式が重んぜられた。漢詩文の未熟傾向に対し,国民固有の思想感情吐露の和歌集として成立したのが『万葉集』である。前代の天武朝以降,当代の淳仁朝までの天皇から農民に及んだ和歌約4,500首を数え,無名の歌人に秀歌が多く,代表的歌人に前代の柿本人麻呂・山辺赤人,当代の山上憶良大伴旅人と家持の父子があげられ,それぞれの時代思潮を反映して個性豊かな和歌を詠じた。編者大伴家持説が有力である。

〔参考文献〕石田一良『日本文化史概論』1981,吉川弘文館

久野健・持丸一夫『日本美術史要説』1981,吉川弘文館

石田茂作『東大寺と国分寺』1959,至文堂