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●天皇伝説 てんのうでんせつ

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 天皇や皇子など皇室の人物を主人公とする伝説のことを総称していう。多くの場合,悲劇の主人公としての風格をもつ天皇が,敵に追われて海浜・山間を彷徨中に,途次の村々で暖かく迎えられ,饗応を受けつつ,自らは奇瑞を現してその村々に幸をもたらすという類型的な筋書になっている。伝説そのものは,稀人(まれびと)を歓待する客人神(まろうどがみ)信仰を祖型としているが,民間における天皇への思慕,あるいは天皇信仰といった心性を見逃すわけにはいくまい。そこで天皇信仰について概観してみよう。すでに天皇というカリスマ的響きをもつことばの発案者である聖徳太子からして,皇子の身分であってさまざまな伝説の主人公となっており,その多くは,大乗菩薩としての衆生への慈悲心をテーマとしたものである。また聖武天皇妃の光明皇后も,仏の慈悲の体現者として説話の主人公となっており,癩病患者のうみをすすったとか,法華寺十一面観音像のモデルである,とかの話が残されている。こうした天皇あるいは皇室の菩薩行を敬慕する民間の心情には根深いものがあり,近現代にさえみることができる。たとえば,明治天皇は日露戦争の際,前線の兵のことを忍ばれて自ら粗会に耐えられたとか,天皇裕仁は,終戦後,国民の食糧難を救うため命を賭してマッカーサーと会見した,といった逸話がそれである。また特殊の天皇信仰としては,放浪性をもつ特殊職業者の集団のそれがあげられる。たとえば,木地師の集団が小野宮惟喬親王を,琵琶法師・盲僧の集団が人康親王をそれぞれ祖と仰いでいたり,かのサンカが独特の皇統譜を伝承するなど,集団の権威づけとして天皇家が利用されている。そこには天皇という存在自体が遊幸神的な性格を体現していた事実がうかがわれる。天皇伝説を形成した他の要素としては,貴種流離譚・牛頭天王伝説・ダイシ伝説があげられる。異郷から訪れた天皇が清水を湧かすとか,三度栗や歯形栗を残すとかいった部分は,ダイシ伝説と同工異曲である。牛頭天王とは本来,疫病除けの仏教系の神様であるが,天王と天皇の音が同じであることから中世期以降の天皇伝説で,牛頭天王伝説から焼き直されたものは多いということも考えられる。いずれにせよ天皇伝説として分類する場合,主人公の天皇は,安徳天皇や後醍醐天皇など非業の生涯をたどった者に限られる点,再び確認しておこう。安徳天皇の場合は源平合戦の際,壇ノ浦の戦で平家が敗れると,清盛の妻二位の尼に抱かれて入水,行方不明ということになっているが,安徳天皇に関する伝説には密かに死を逸かれて遁走し,余生を寂しく送ったというものが多く,四国・中国・九州・奄美諸島などに,安徳天皇陵と称する御陵がいくつもある。興味深い一例をあげると,硫黄ケ島(旧鬼界ケ島)に逃れた安徳天皇は,平有盛・行盛に守られて和歌を詠みつつ余生を送ったというもので,結婚もして娘もあり,硫黄ケ島には安徳天皇の御陵と神社があるという。また後鳥羽上皇は,天台座主慈円のいさめもきかず承久の乱をおこし,結局敗れて隠岐ノ島へ流罪となり,島への途次〈われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け〉と詠んだことで知られるが,新古今和歌集の実質上の編者といわれるこの天皇には,他にも隠岐の島の耳ざわりな松風の音と蛙の鳴声を無くするために「蛙鳴く勝田の池の夕だたみ聞かましものは松風の音」と詠んだところ,不思議と蛙は鳴きやみ,松も音をたてず音無の松になったという逸話がある。この島には,元弘の変の際に流された後醍醐天皇に関する伝説も残されている。天皇一行は地蔵兵衛という島人の先導で赤之江に待機中の船に乗り移るべく小舟をすすめていた。大荒れのなかを天皇は無事乗り移られたが小舟で引き返した地蔵兵衛は波に呑まれて行方不明になったという。他にも日明・天智・弘文天皇や,以仁王など皇子らに関する伝説に多く,いずれもその御陵と称するものが各地に存在している。