●天皇制 てんのうせい
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天皇制というのは天皇を頂点にした国家体制のことをいう。天皇制には古代天皇制・中世天皇制・近代天皇制などというような表現もある。したがって政治体制として天皇制とともに,文化天皇制という表現のなかに宗教的天皇制のようなものや神権的天皇制などというのも包含されている。しかし近代天皇制は,天皇を王としてわが手におさめ,天子を叩て是を矢玉にまで使って政治状況を切り開くのに使っている。これをみてもわかるように,古代律令に復さない限り,幕藩体制を否定できない,その意味での王政復古であった。
したがって天皇制は「たてまえ」でつかわれ,民族統一のシンボルに用いられたのである。それゆえに自由民権の私擬憲法のなかに「国帝」がかかれているが,内容は「君民共治」以外は何も規定していない。言い換えると「君民共治」以上の注文をつけないことによって,名をすてて実をとろうとした。それによって幕末以来の「統一日本国家」建設のシンボルを「たてまえ」の上で利用しようと考えたのである。そのため,近代になってとくに万世一系の天皇を強調している。そして天皇制国家の統治原理の見本にすえ,明治憲法によって天皇の神権性にもとづく天皇主権原理を明示した。第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」というのは端的表現である。第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」はプロイセンのもののまね。その第4条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攪シ此ノ憲法ノ条規ニヨリテ之ヲ行フ」は主の運用面から天皇が国家機関であることを示したものである。いずれにせよ国民主権と異なる天皇制国家であることを示しているし,その正統性の根拠は,万世一原即ち皇祖皇宗に求め,それに与える神話とその強制にもとづいて国家の存立が基礎づけられている。こうした方向は,近代日本を一貫したものであった。したがって太平洋戦争の敗北しても,なかなかそれを打ち崩すことはむずかしかった。
中国派のオーエン=テティモアは,天皇制について「天皇は日本の侵略の構成要素であった。経済的にはその巨大な投資のゆえ天皇は自由主義者たち(自由主義的財界)に戻してきた。軍事的には,天皇は軍人のモラルの儀式的対象として軍閥主義者たちに属してきた。その社会的には,天皇は,人々がそのもとで『働き,服従し,戦う』道を代々伝えてきたところの,経済的・社会的特権のアーチのかなめ石であった」といっている。そして天皇の存在の否定をとくものは革命によってのみ天皇制の打倒は可能であると述べている。しかしかかる中国派はグルーのような日本派に敗北して,天皇制を打倒することはできなかった。そのことは日本派の人たちが「日本人は現在,天皇に対してほとんど狂的な献身的愛着をもっているがゆえ,外側から天皇制を廃止しようとする試みは,日本人の現在の態度が続く限りは,おそらく効果ないだろう」(日本―政治問題―天皇制,1944,5,PWC文書)という見解につながっている。
天皇制の固有のものに年号制度がある。改元については幕府の介入干渉を招いたことがある。近代になって一世一元制をとっている。そのこともあり元号法制化の主張も根強い。また天皇制を支えるものに天皇を頂点とする政府への服従があった。少なくとも明治国家においては祭祀の徹底化した天皇制化が行われていた。
象徴的天皇制になっても,その契機が敗戦下での国体護持とかかわっている。それゆえ国民協同体的潮流は強く,天皇制と国民主権の両立による日本型民主主義を成立させようとした。しかし共産党のみ天皇制打倒を求めている。これをのりこえ成立したのが象徴天皇制で国民統合の中心の地位は温存されている。たしかに絶対主義天皇制のような専制啓蒙性は否定されたが,国民協同体の結合の象徴としての機能を果たしている。