●天子 てんし
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中国王朝国家の君主をさす名称。皇帝,王という称号に対し,天子は最も一般的な名称で儒教的な君主観をよく現している。君主は宇宙を主宰する至上神である天から命令を受けて,天の元子,つまり長子として,天を代表して中国の土地と人民を支配するというのが,中国の政治哲学の原理であった。この思想は古代の部族国家の君主が天の神の子孫として地上に降臨し,人民を神権をもって支配したという伝承にもとづく。戦国時代以降,儒教や諸子百家の思想によって発展し,秦・漢の統一国家になって,儒教的君主観念となった。しかし卜辞のころには現れず,西周の金文に初めて登場する。「天子が民の父母として天に代わってこれを治め」云々は秦・漢帝国よりあとになってからである。
殷周の王は天子と称したが,周の君主は王と称した。これは多くの神のなかの最高たる天の子という資格で天下を支配したのだといわれる。
中国人の考える天は,もと青空の空で,形体をもっていないが,万物の創造者であると考えた。したがってその子の天子は天地を祭り,四方を祭り,山川を祭り,五祀を祭る。諸侯は方祀をするものである。したがって天子はとくに天地を,諸侯は社稷を祭るともいわれている。
元来,天子は古くは王と称していたが,戦国時代以来,諸侯が王号を僣するようになると,天子はそれ以上の称号を求め,秦の始皇帝は初めて帝を天子の号とした。それ以前,天下に王たるものという意味で帝と号したことはない。帝と呼んでいるのは後世からの追称である。
天子は万民の父母であるが,天子は天帝の子として天帝に代わり万民に君臨しこれを安治撫育するものであり,天子は万民の父母として天命に聴従し,これに仕えこれを祭るものである。天帝の子にして唯一の天帝の代表者たる天子は,天意を奉行して法律を定め,行政を行い,人民がその令に従わざるときは天授的君権をもって,これを征伐し,司法刑解を行う。立法・司法・行政・軍事の大権は天子の特権としてもつ。また祭天,祭祖を行い,これがために神供の犠牲,祭盛を徴収し,祭祀大権・租税大権は天子の資格である。 以上のような資格をもつ天子は,万民の父母たるものであるから,天子の仁徳宏大なる場合には天帝は天子の父母として天子をもって人生界の代表者たりうる。天子が仁徳宏大ならず,万民の父母たるの実に反するときは,天帝は天子の父母にあらずして,かえって直接万民の父母である。
人民は,天帝および天子に対して次のような関係を結んでいる。天子に仁徳ある場合には,万民は天子をもって,その父母としこれに服事する。万民は天地の蒸民・蒼生で,不徳の天子に服事する必要はない。天帝の命に従い,不仁徳なる天子を放伐し,革命を行う。天を祭り,地を祭ることも天子の特権とされていた。しかしその祭祀の内容を検討すると,それは天子にしてはじめてなし得るものとは限らない。『礼記』の月令には孟春の月および仲夏の月に天子が穀物の豊穣を上帝に祈願する祭りがある。季秋の月には,天子が上帝を明堂に饗応し,農事を上帝に報告する祭りがある。いずれも農祭である。
天子が冬至の日に燔祭して天を南郊の圜丘に祭るのは,天子のみなしうる天子に対する最も大切で重要な正祭である。つまり冬至をさかいとして一陽来復せしめ,暖気にむかわせる,そうした力を発揮するのが天子である。
こうした方式は,『礼記』よりあとになって成立したものと考えられる。天子は世界にただ一人,天から委托された崇高の義務を果たす。賢人の助けをかりて,民衆の秩序と平和の維持につとめとされる。
〔参考文献〕小島祐馬『古代中国研究』1968,筑摩書房
田崎仁義『王道天下之研究』1926,宝文館