50音順    検 索

●天国 てんごく

AD 

 しばしば天上にあるとみられる神(神々)や死者の住まい。しばしば現世や地獄と対照され,明るく浄福に充ちた理想世界と考えられている。しかし,そのような天国のイメージは世界にそれほど多いものではない。そのような天国は東西南北に立てられた4本の柱で支えられていると考えられた。また,宇宙の中心にある山や木やはしごで天と地は結ばれており,神々・精霊・人間は交流できると考えられた。そのような信仰は古代エジプト・ギリシア・インド・北欧にみられ,アフリカ・アメリカ・オセアニア・オーストラリアの各地の原住民たちのあいだにもみられる。そのようなはしごは死者の霊のために特別にしつらえられることもあり,神話的英雄やシャーマンの天空への旅を可能にしたり神々の地上への降臨を可能にする通路とも考えられている。また,そのような通路の破壊によって人間の苦悩の起源が説明される場合もある。

 ユダヤ教の正統的信仰では神は天を超えており,死者はシェオル(冥土)に生なきものとして眠るものと考えられ,死と冥土はヤーヴェ神との交わりがなくなることとして恐れられた。しかし,前3世紀か前2世紀ごろから民間信仰には天上のエデンの園としての死者の住まいが信じられるようになり,正しき人・悪しき人の死後の肉体的復活が考えられた。天には7ないし10あり,7の場合は第3天,10の場合は第7天が天の楽園であり,そこには正しい人にふさわしいあらゆる宝物が用意されていて,悪しき人には外的苦悩,すなわち第2の死が待っている。

 イスラームでも,ムハンマドが有名な夜の旅でみたとされる,七つの天が認められており,それら天は休息・平和・永遠の住まいであり,快楽と庇護とエデンの楽園,肉体的快楽と霊的至福の場所なのである。

 ゾロアスター教では天上の死者の国の教義はゾロアスターの説教に楽園的な“歌の住まい”として語られるが,のちに四つの光り輝く領域としての天と,その下にある“善き考え・善きことば・善き行い”という三つの境域の信仰となり,さらにパフレヴィ時代には“善き考え”の天は星から月に到達し,“善き行い”の天は太陽から“歌の住まい”の最も近い限界に達するという宇宙論になっている。

 インドでは『リグ=ヴェーダ』によれば,善人の死霊は天国,永遠と不死の楽土,欲望・願望がかなえられ,安楽と喜悦のあるところで父祖とともに喜びの生活を送るとされ,この思想はインドの諸宗教すべてに継承された。

 仏教では天に数多くの層があると考えられた。最下層の六界は善き行いによって到達される感性的欲望と形の場,欲界であり,そこにはさまざまの神・天が住まう。そのうちの下3層に仏陀が生前に住まったとされ,そこから未来仏が生ずると信ぜられた。そしてその上の16の世界は感性的欲望の不在と形や色の存在によって特徴づけられる場,色界であり,自然世界の最上の層とされる。その住人は身体はもっているが,微妙で地上のそれとは異なる。さらにその上に中層からなる無色界が観念されている。これらの世界には感性的欲望も色や形も物質的なものがいっさい存在せず,心識のみがあるとされる。このような三界説はしかし仏教教義の展開とともに形成された概念であり,仏陀にとってはコスモロジーの問題はどうでもよく,人間の行為だけが問題であったとされている。

 キリスト教では天国とは,そこからキリストが到来し,そこに帰った場所と信じられており,そこでキリストが現在栄光のなかで君臨している場であり,最後の審判において生者と死者とを裁くことになる場である。またそこは存在の永遠の次元と同一視され,そこに至ることが信者の究極の目的とも考えられる。また新しい天地としての神の世界創造の完成は楽園の再創造でもあるという。しかし,現代の多くの神学者たちにとっては天国は場所であるよりも,むしろある状態をさすのであり,そのような理想は教会に反映されていると信じられている。

 しかし世界中に出現した千年王国論的宗教運動は,天国を単に他界や心のなかにみるのではなく,具体的に地上に実現しようとする。中国の五斗米道の民衆道教の運動や太平天国運動,オセアニアのカーゴ=カルト,アメリカ=インディアンのゴースト=ダンスの運動や,天理教・金光教大本教世界救世教にも,そのような理想世界の実現をめざす思想が強くみられるのである。日本の紀記の神話には,日本の社会の理想像として天孫降臨の場である高天原の観念があるが,楽園としてのイメージは海上他界である常世国が日本の信仰伝承には強い。