●天下の台所 てんかのだいどころ
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江戸時代における大坂の俗称。1843年(天保13)江戸幕府の出した株仲間解散令に対し,大坂町奉行阿部遠江守正蔵の反対意見〈諸色取締方之儀ニ付奉伺候書付〉(『大坂市史』第5)のなかに,〈大坂表之義は諸国取引第一之場所〉として〈世俗諸国之台所と相唱〉とある。このころには大坂を天下の台所と俗称されていたことがわかる。全国の物資が集散する土地ということであるが,これは各藩の蔵屋敷が中之島・堂島の辺に立ち並び,年貢米や特産物が運ばれてくること。堂島の米市・天満の青物市・雑喉場の魚市など専門の卸売市場が発達していること。全国から商品を集荷する問屋,およびその荷を取り次ぐ仲買商人らが船場を中心として離合集散していることによる。とくに最大の消費地江戸へ,菱垣廻船・樽廻船によって商品を供給する商業都市として繁栄したために,このような名称が付されたといえる。