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●佃戸 でんこ

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 中国において地主の所有地を借り受けて耕作し,収益の一部を地租として地主に支払い,その余剰で自己の生計を立てる小作人をいう。そして地主との間の小作関係を佃戸制といい,これが一般的となったのは宋代からである。

【宋代以前】中国の小作制は,日本のそれとはちがい,歴史的には約2,000年の昔からその存在が知られている。漢代において,公田や豪民の広大な私有地を貧民に貸して耕作させ,その収穫の半分以上を納めさせている。かかる貸付地を仮田といった。次に西晋の占田制において,佃客という名前がみえ,当時の豪族が相当多数の佃客をかかえていたことがわかる。しかも主家と同じ戸籍につけられ,その地位は家内奴隷的なものであった。下って唐の均田制のもとでは,均田農民相互の間に小作が行われることもあった。しかし唐の中ごろ以後,均田制の崩壊によって,貴族や武人の荘園が発達し,かつての均田農民がその荘園内の土地を小作する佃戸となった。次いで唐末五代には貴族にかわって,地方の豪族(地主)が台頭し,宋王朝の成立を契機として,豪族は官僚になるとともに広大な荘園を経営した。

【宋代の佃戸制】宋代の荘園の小作人である佃戸は,佃客荘客地客・浮客・火客等ともいわれているが,これは国家の税役上の制度から戸籍において地主の主戸に対して小作人を客戸といったことによるものであろう。この点,税役の制度面では地主より独立しており,奴隷とは異なっている。しかしまた,租戸・種戸ともいわれているように,田主・業主ともいった地主に対し租契なる小作契約を結び,重い租課(小作料)を納めた。小作料は,たいてい物租で分益・定額の2種があったが,その租率はだいたい収穫の半分以上を占めた。また一部に定額租を時価に換算して納める代金納,畑地・沼地を対象とした金納などもあった。しかし佃戸は,借料を出して地主から家屋・耕牛・農具を借りることが多く,また時に急場をしのぐために高利で銭・食糧を借りることもあり,経済的に地主にまったく依存する有様であった。そのため佃戸は地主から奴隷視され,地主の家の雑役にも使われ,結婚などで身分的な制約をうけることもあった。さらに社会的にも「主僕の分あり」といわれ,法律上でも地主・佃戸間の犯罪に軽重の差が規定され,佃戸は良民と異なった視扱いを受けるようになった。さらに南宋では,多く佃戸は自由に土地を移転することができず,土地とともに売買される「随田佃客」も存在した。そこでこのような宋代の佃戸は農奴であるとの説が生じ,さらに宋代をもって中国の封建制度の成立期とする考えが出されてきた。しかし一方,南宋末には,重い負担に反対して佃戸は団結し,租課の納入を拒否する,いわゆる頑佃抗租を盛んに行っている。宋代の佃戸の社会的な地位については,明清代の地主小作制の問題と関連させて再検討する必要がある。