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●転運使 てんうんし

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国,唐の734年(開元22)より置かれた,物資運搬に関する使職。唐は大運河を利用して江南から中央へ物資,とくに米穀類を運搬していた。この運搬(灌運)をつかさどるのが転運使で,ふつう江淮転運使といった。管轄区間は物資輸送ルートによって変化があり,最初は長安と黄河分流口の河陰(河南省栄陽県北東)を直接管轄し,それ以外は総掌するのみであった。これは長安―河陰間が官運で,揚子江より河陰までは民運だったことによる。安史の乱当時の762年(宝応1・順天3)方法を改め,民運を揚州までとし,官運区間が拡大されると権限もいっそう強まっていった。さらに諸所に巡院を設置して漕運や専売の塩鉄をつかさどり,その後,諸道の塩鉄鋳銭などの使職もかねて諸道塩鉄転運使と呼ばれるようになった。転運使は唐の財務職として重きをなしたが,唐の勢力の後退,藩鎮勢力の伸張のなかでその権限が制約を受けるようになり,管轄地域もせばまっていった。転運使は五代でも行われ軍糧や物資輸送のために地方に置かれた。宋も五代の制を受けて,最初は某面水陸計度転運事某面水陸計度転運使などと呼ばれていた。しかし宋の全国統一が進展し,社会・経済が安定してくると権限が強まり,宋代の地方行政区画の最高である路の長官として絶大な権限を握るようになった。その権限は単に漕運財賦のみならず官僚の監察や刑獄・常平にまで及んだ。しかし真宗のころに提点刑獄公事が置かれ,神宗のときに提挙常平司が置かれて職権が分掌され,権限は縮小されていった。

〔参考文献〕青山定雄「唐宋時代の転運使及び発運使に就いて」『唐宋時代の交通と地誌地図の研究』1963