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●碾磑 てんがい

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 中国唐代に多く設置され,水力によって上下の石をすりあわせる水平運動によって,穀類の脱穀・精白・精粉の用に供し,単に碾や磑とも称した。唐代になって盛行したのは,華北に小麦生産が多くなり,2年三毛作が発展し,また荘園所有者らによって営利事業化したからである。唐代初期に,用水は灌漑が最優先であるという規定があったが,3代高宗の655年(永徽6)雍州刺史長孫祥の奏言に,これまで鄭白渠は4万余頃(けい)の耕地に灌漑してきたが,そのころ富僧・大賈が競って碾磑を造ったので,灌漑は1万頃(けい)になったといい,高宗はそれらの碾磑を皆毀撤(きてつ)させたが,しばらくして前に戻ったとのことである。唐代後半の代宗期に,私碾磑禁止令が出されたが,それ以後,禁止令は文献上にみることはなく,王朝自らも多くの碾磑を畿内や諸州に設置し始めたのである。

〔参考文献〕西嶋定生「碾磑の彼方――華北農業生産力展開史上の一問題――」歴史学研究125,1947