●出羽三山信仰 でわさんざんしんこう
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出羽三山中の月山と羽黒山は8世紀以来朝野の信仰を受け,12世紀には月山信仰を背景とする山伏教団が羽黒山に成立し,大峰・熊野に匹敵する勢いをみせた。鎌倉時代には守護地頭不入の特権を楯に,地頭の大泉二郎を幕府に訴え,その侵害行為を停止させた(『吾妻鑑』)ほどの力をもち,奥羽佐信越は羽黒権現敷地,関八州は旦那場,東33カ国は羽黒,西24カ国は熊野,九州9カ国は彦山の支配地と号した。湯殿山が世に知られたのは14世紀末である。戦国期に一時衰えたが,江戸時代には1,500石余の山領と境内・門前・山林の竹木まで自由との朱印状を与えられ,清僧寺32と妻帯修験360坊を擁し,末派修験・行人・巫女・太夫ら4,000余坊を支配した。明治には神仏分離と修験宗廃止の処分にあい教団は崩壊。神社と寺院とに分裂した。〔参考文献〕戸川安章『出羽三山修験者の研究』1973,佼成出版社
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