50音順    検 索

●デロス同盟 デロスどうめい

ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD477 

 ペルシア戦争後,ペルシアからの再度の攻撃に備えて,アテナイを指導ポリスとしてギリシア諸ポリス間に,前477年に成立した同盟。同盟諸ポリスの資金がエーゲ海の中央にあるデロス島アポロン神殿に保管され,同盟会議もここで開かれたことから,デロス同盟といわれる。前6世紀には,ギリシアの指導的ポリスはスパルタであったが,マラトンとサラミスの戦いで,アテナイはペルシアに対してギリシアを救済したと認められて,アテナイの指導権が確立された。イオニア・アイオリス地方の諸ポリス,サモス・キオス・レスボス・テネドスなどのエーゲ海島嶼の諸ポリスが同盟に参加した。同盟諸ポリスは軍船と乗員を提供するか,あるいはそれを貨幣の拠出で代用することができたが,多くは拠出金を支払っていた。しかし,前448年の“カリアスの平和”でペルシアがエーゲ海に進出しないことが決定されてから,もともとペルシアの脅威に備えたデロス同盟の存在理由はなくなり,同盟から離脱するポリスが多くなった。アテナイはペリクレスの指導下に同盟離反を抑え,同盟金庫をアテナイに移し(前454),武力干渉によって民主政を強制し,度量衡を統一して力で同盟を維持・強化しようとした。ここに,デロス同盟は帝国になり,アテナイの指導は独裁に転化した。アテナイの抑圧政策は,アテナイとスパルタの対立と絡み合って,ペロポンネソス戦争へもすすんだ(前431)。前404年に終結した戦争は,アテナイの敗北とともにデロス同盟をも解体したが,アテナイは同盟の復興を目的として,前377年,デロス同盟成立から100年ののちに,新たな同盟を成立させた。しかし,新しい同盟はペロポンネソス戦争の経験とアンタルキダスの和約の条件を生かして,少なくとも発足の当初には,デロス同盟時代の帝国主義政策のあらゆる特徴を放棄することを公表した。デロス同盟は,強制的権力を行使したとはいえ,市民権の閉鎖性から直接的に由来する自治の原則に固執したポリスの分立主義を克服して,超ポリス的統一体をつくろうとする初めての現実的な試みであったといえる。