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●テルモピュライの戦い テルモピュライのたたかい

ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD 

 第3次ペルシア戦争(前480〜前479)の最大激戦の一つ(前480年8月)。ペルシア軍の総帥クセルクセスは大軍を率いてサルデスを出発し,ヘレスポントス海峡に舟をつないで陸軍を渡し,アトス岬の根元を掘って海軍を通し,両軍が西に並行してギリシア本土にむかった。ギリシア軍はテッサリア北のテンペを守備したが,ここを放棄してテルモピュライに陣を構えた。ヘロドトスの叙述によれば,この地は山と海にはさまれ辛うじて車一両が通れるほどの道幅しかなく,海岸側は沼沢地で,反対側は険しい山地であったといわれる。ギリシア軍とペルシア軍はここに対峙した。ヘロドトスは陸海軍総数264万(うち陸軍210万)のペルシア軍に対して,スパルタ王レオニダス指揮下のギリシア軍4,200(うちスパルタ重装歩兵300)が陣を張ったという。激戦は3日間続き,ギリシア軍はペルシア軍の南下(地図上では東進)を食い止めたが,エピアルテスというギリシア人が内通して山越えの間道を教えたため,ギリシア軍は腹背に敵を受けて全滅した。このときにクセルクセスの2人の弟も戦死した。“関門”を通過したペルシア軍はアッティカに殺到したが,サラミス湾で大敗した。山に接した丘の上には,現在もレオニダスの墓があり,〈なお旅人よ。スパルタに行けば告げよ。われら法の命ずるままにこの地に眠ると〉という遺言が刻記されている。この戦いは,リュクルゴス体制下のスパルタのよい面を世に示したのである。