●テルミドールの反動 テルミドールのはんどう
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革命暦第2年熱月9日,グレゴリウス暦で1794年7月27日,ロベスピエールとその一派を倒したクーデタのこと。ダントン・エベール両派を処刑したロベスピエール派は,1794年4月以後,サン=ジュストが議員身分の保障を撤廃する処置をすすめ,6月10日にクートンの提案で国民公会だけでなく,公安・保安両委員会までが容疑ありとされた議員を革命裁判所に引き渡す権利を得,恐怖政治は頂点に達した。これに先立ちロベスピエールは最高存在の崇拝を挙行。山岳派も含む議員多数の不安・冷笑を招き,急速に反ロベスピエールの気運が高まる。7月27日,タリアン・バラスなどは演説を妨害してロベスピエール兄弟・サン=ジュスト・クートン・ル=バの逮捕を決議。パリ市当局に救出されるが,自治区・国民衛兵隊の多くは国民公会側につき,再び捕えられて支持派の市長・衛兵隊長を含め22名が翌日処刑された。反対勢力は公安委員会内の「専門家」カルノー・最左派のヴァレンヌ=ビヨー,保安委員会にもまたがるが,サン=キュロット層も,労賃抑制がロベスピエールのせいと考え,救援しなかった。この事件ののち恐怖政治が次々撤廃され,テルミドール派は新憲法の作成にかかるが,それはフランス革命が一時的に必要とした小市民独裁から,ブルジョワ自由主義への軌道修正を果たしたことを意味する。