●デルフォイ
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
中部ギリシアのフォキス地方,パルナッソス山の南斜面,コリント湾から約10km内陸に入った海抜約600mのところにある古代ギリシアの聖地。アポロンの神託所として地中海域で最も有名であった。発掘調査の結果,ミケーネ時代の遺物が出土し,前1400年以前にすでにこの地がなんらかの宗教崇拝の聖地であったことが明らかとなった。これは元来高原に住んでいたデルフォイ人が,のちに当時ビュートと呼ばれたデルフォイに下りてきたとする伝説に合致する。アポロンの神託も,もとは地方的な地母神のものでピュトンという毒蛇に守られていたが,のちにアポロンが毒蛇を射殺して引き継いだといわれている。デルフォイが繁栄するのは前6世紀に入ってからで,前590年ごろ神聖戦争がおこり,巡礼から通行税をとっていたクリサの町が破壊されたため,デルフォイヘの往来が自由になったのである。中部ギリシアのアンフィクチオニア(隣保同盟)に加盟し,やがて同盟の中心となった。デルフォイを全ギリシア的にしたのは神託の他に,ピュティア競技で,前582年に始まり,オリンピア競技と並んでギリシア4大競技の一つに数えられた。競技は4年ごとに,各オリンピアードの中間に開かれた。アポロンの神託は神殿の奥の部屋で行われ,ピュティアと呼ばれる巫女のお告げを神官が依頼人に韻文に直して伝えた。この神殿は地球の中心と考えられ,その場所を示す“ヘそ石”が安置されていたが,神託の物理的仕組みについては確実なことはわかっていない。中心の岩の裂け目から立ち上る有毒ガスによって巫女が狂乱状態になったとする古代の学説は,発掘によって実証されなかったのである。宗教的エクスタシーが巫女に超能力を与えたとするよりも,幅広い情報収集活動が神託の権威を高めたとするのが妥当である。ポリス単位での閉鎖状態にあった古代ギリシア世界では,多くのポリスの人々が自由に出入りして情報をもたらしてくれるデルフォイは,政治的にきわめて重要な意義をもったのである。それゆえ政争の具にされることも多かった。前6世紀末に神託を利用してスパルタに働きかけ,僣主ヒッピアスの追放に成功したアテナイのアルクメオン家とデルフォイの結びつきは注目される。また前1000世紀中葉フォキスによるデルフォイ占領は,マケドニアのフィリッポス2世の尽力で解除され,これをきっかけとしてフィリッポスはギリシア統一にデルフォイを利用したのである。私事のみならず,和戦の決定や植民市の場所と守護神の選択といった国政上の大事に至るまで神託にうかがいをたて,ギリシア人のみならず有名なリュディアのクロイソスなど異邦人もこれを利用したのである。神託は難解で多くの場合あいまいであったが,内容の真正を結果が教えてくれたので,国家や個人は競って感謝の意を奉納物に表し,記念建造物を寄進した。主神殿のまわりに建てられた各国の宝物殿だけでも20棟を数えたのである。しかし,ローマ時代にはデルフォイの役割は低下し,度重なる略奪をこおむり,一時,ユリアヌス帝の好意を受けたりしたが,遂に390年テオドシウス帝によってキリスト教の名のもとに神殿の閉鎖を命じられた。以後完全な廃虚となり,カストリという名の寒村であったが,1890年の村の移転とともにフランス考古学者の発掘が行われ,再びデルフォイの名を得て,往古の繁栄の面影を伝えている。