50音順    検 索

●デリー

アジア インド AD 

 中世以来の北インドの政治的中心都市。その起源は明らかではない。歴史上はっきりしているのは,11世紀半ばのトーマラ朝のアナンガパルのとき,現在のデリー市南郊,クトゥブ=ミーナールの付近に城砦を築いた。北部ラージャスターンから進出してきたチャーハマーナ朝は,11世紀半ばすぎトーマラ朝を倒し,12世紀後半,その君主プリトゥヴィー=ラージは,デリー南郊のメヘローリー地域に大城砦都市を築いた。それは,王の名にちなんでラーイ=ピトーラーと呼ばれた。プリトゥヴィー=ラージは,12世紀末,ゴールのムハンマドに敗れ,その王朝は滅亡したが,奴隷王朝ハルジー朝前半期を通じて,初期デリー=スルタン朝の首都は,このラージプート系王朝の築いた城砦都市そのものであった。ハルジー朝のとき,そこから2〜3km離れたスィーリーの新都市が建設され,またトゥグルク朝初期に,7〜8km東方にトゥグルカーバードの城砦が建設された。しかし,ラーイー=ピトーラーはそのまま「古いデリー」として,一般の居住地,文化の中心地としてそのまま使われていた。トゥグルク朝のフィーローズ=シャー(在位1351〜1388)のころには,ラーイー=ピトーラーよりずっと北部,今日のジャムナ河の流れに接するあたり,ほぼ現在のニューデリーをも含むあたりにフィーローザーバードが建設された。ムガル時代の初期のデリーの中心は,今日のニューデリーの東部にその遺跡が残るプラーナー=キラ(古い城砦)と呼ばれる一帯であった。ムガル第5代皇帝シャー=ジャハーン(在位1628〜1658)によって,大都市シャージャハーナーバードが建設されてから,ほぼ今日のデリー市ができあがった。これにはラール=キラ(「赤い砦」の意)と呼ばれる宮城があり,ジャーマー=マスジッドという中心的な巨大なモスク,チャントニー=チョーク大通りがあり,全体が城壁で囲まれていた。