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●テュルゴー

ヨーロッパ フランス共和国 AD1727 フランス王国

 1727〜1781 フランスの政治家・経済学者。パリ生まれ。名門貴族の出身で父はパリ市長。サン=シュルピス神学校の神学教育を受け,イギリス経験主義・ヴォルテール・モンテスキューの諸著作に接す。1750年,ソルボンヌ僧院長に選ばれ,開講講演で進歩的歴史観を示す。法服の道に転じ,1752年,パリ高等法院評定官,翌年訴願審査官になり,行政・経済問題と接触。この間ケネー・クルネーなどと知己になり多くのサロンでディドロなど百科全書派とも交際。『百科全書』にも「存在」「語源」「指定市場」などを執筆。1761年から1774年まで,経済的後進地域のリムーザン財務管区の国王監察官に任命され,合理的税制の施行・王国賦役の廃止・道路建設などで成果をあげた。在任中に著した『富の形成と分配に関する諸考察』(1766),『穀物通商に関する財務総監あての書簡』(1770)で経済理論を確立したが,ケネーとは商業重視の点でやや見解を異にした。1774年,ルイ16世の即位とともに海軍大臣,ついで財務総監に就任。王室財政の負債の支払いを実行。これまでのタイユ徴収に代え,単一地租を構想。そのために財務官の削減を手がけた。1774年の穀物取引の自由化は,独占業者や高等法院の反対にあい,翌年,一時的穀物不足による民衆蜂起が加わって“穀物戦争”が発生。1776年,王国賦役の撤廃,宣誓組合・ギルドの廃止はかろうじて通過させたが,対アメリカ援助でヴェルジェンヌ外務大臣と対立して辞職した。在任中に構想した市町村議会・地方議会は,人間精神の進歩を論じた学位論文とともにコンドルセに受け継がれた。