●テーヌ
AD1828
1828〜1893 フランスの啓学者・歴史家。アルデンヌ県ヴージュの生まれ。中流家庭に育ち,高等師範学校に入り,ヌヴェールのリセの教師に任命される。ルイ=ナポレオンの1851年12月2日のクーデタに賛成署名を拒んだため,文部省からにらまれる。1853年,のちの決定論的な解釈をのぞかせる「ラ=フォンテーヌとかれの寓話」を提出し,文学博士号を取得したが,大学教授のポストは諦めねばならなかった。「両世界評論」「ジュルナル=デ=デバ」紙・「公教育」誌に投稿しながら,人種・環境・時代の3要素から文学を理解すべきとした『イギリス文学史』(1864)を著した。自由帝政になってから美術学校の教授に登用され,ギリシア・ネーデルラント美術批評に道徳的観点を導入。1870年,『知性論』でコントの影響を受けた実証精神を示した。普仏戦争の敗北を契機に,フランスの不安定性と凋落の究明にむかい,1871年から10年余を費やして,『現代フランスの起源(全12巻)』(1875〜1893)に取り組み,このなかでルイ14世期の古典的・合理的・中央集権的精神を弊害の根因として指弾し,またフランス革命は,ルソーの思弁的教説を盲信したジャコバン一味の陰謀によっておこされたとする“陰謀説”を提示した。1878年,アカデミー=フランセーズに選ばれる。人間科学を厳格な観察にもとづかせようとしたが,モラリズムを混入したことも見逃せず,代表作『芸術哲学』(1882)にははっきりとそれがでている。過度の自由への警戒・人間の獣性などの把握は,ジュール=バレス・シャルル=モーラスに受け継がれた。