●鉄器時代 てっきじだい
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【鉄器時代の概念】デンマークのトムセンの設定した先史時代の3時代の一つ。鉄製の利器が実用とされた時代。鉄器時代以前にも,隕鉄などの自然鉄を鍛打加工した鉄器が存在するが,これらは散発的なもので,鉄器時代の指標とはならない。鉄は,実用利器の材料としては青銅にまさり,また原料も多くの地域に多量に存在したため,鉄の冶金術が伝播した後には,どの地域も,青銅器時代から鉄器時代へと移行している。ひろく解釈するなら,その後現代に至るまで,鉄器時代と考えられるが,歴史時代にはいると,この概念を適用しないのが普通である。そのため,考古学的に鉄器時代と認められる文化は,事実上かなり限られたものとなる。しかし,鉄の冶金と鉄器の採用には,重要な歴史的意義が存在する。【最古の鉄器】現在,明らかとなっている最古の鉄器は,アナトリア・エジプト・イラクなどの前3000〜前2000年ごろの遺跡から出土している。地域としては,いわゆる「肥沃な三日月地帯」に集中している。しかし,これらの鉄器は,ニッケル分の多い隕鉄を鍛いて製作されたものである。その他に,人工鉄と考えられるものも存在するが,錬鉄と呼ばれる炭素量の低いもので,硬度がたりなく実用利器としては,用いられてはいない。その後に,浸炭による硬化処理が開発されて,鋼をつくりだすことができるようになり,実用利器の材料としての利用が可能となった。この技術は,アナトリアのカリュドス人が開発したとの説もあるが,考古学的にはっきりとした資料は存在していない。西アジアにおいて,鉄は,前1200年ごろから普及する。これは,ヒッタイト帝国の崩壊後で,それ以前のヒッタイト帝国による鉄の独占が崩れたためという説と関連させる考えかたもある。考古学的には,いまだ資料不足であって,解明は今後にまたれている。
【各地の鉄器文化】前1200年から前1000年ごろには,現在のイランに鉄が導入される。そのころの時期のシアルクA墓地では,青銅器とまじって鉄剣が出土し,前1000年ごろのシアルクB墓地では,武器などの他にリュトン形の容器も存在した。この地域は,鉄の各地の伝播に大きな役割を果たしたと考えられ,ここから東方・東南・中央アジアへとひろまったと考えられる。メソポタミアから東地中海地域・エジプトの一部も前1000年ごろには,道具の鉄器化が進んだ。ギリシアではミケーネ文化の崩壊後,原幾何学文文化の時期に鉄器化が始まる。
続いて,鉄器文化はイタリアに流入しヴィラノーヴォ文化の成立がみられた。この文化は,ハルシュタット文化にも影響を与えた。
地中海地域以外のヨーロッパが鉄器時代にはいるのは,前8世紀のハルシュタット文化後期からである。鉄製の刀剣が多くみられ,かなりの武力が存在したことが予想される。また,この時期には高城の存在も確認される。この文化には,車葬木槨墳が存在し,東方の草原地帯からの影響が認められる後続するラ・テーヌ文化にも依然として出土品に武器が多く,高城も多数みられる。標識遺跡となったラ・テーヌ遺跡では,出土品の3分の1以上は剣・槍・盾などの鉄製武器である。さらに,出土品中に馬具が多いのが注目される。この文化はケルト人がになったものと考えられている。
このほか,前800年ごろにはウクライナにスキタイ文化の成立がみられる。スキタイを駆逐したサルマート人の文化には,プラロフカ式剣などのように武器にも鉄器化が進んでいる。
インドでは,ガンジス川上流のアトランジケラ・カウシャンビの2遺跡で前1000年ごろの鉄器が出土しているのが最も古い例である。同地域では,前800年ごろから鉄製工具が出現する。
東南アジアでは,ドンソン文化の末期には鉄器がかなり普及していたらしい。
南シベリアでは,前7世紀からはじまるタガール文化の時期に鉄器化が始まる。しかし,この時期には実用利器の多くがまだ青銅製である。しかし,続くタシュトゥイク文化には馬具や武具などにまで鉄器化が進んでいる。
アムール川流域では紀元前1千年紀のポリツェ文化に,鉄器が存在している。放射性炭素年代では,前980年という数値が提出されている。ポリツェ文化の鉄器には,斧・刀子・鉄鏃・小札・釣針などが存在している。実際の年代は,やや下る可能性が高い。
中国では,すでに殷代の中期に鉄器が存在している。河北省藁城県台西村と北京市平谷県劉家河村から鉄刃の鉞が出土している。しかし両者ともニッケルの含有量から隕鉄を鍛造したものとみられる。本格的な鉄器化が始まると思われるのは前400年ごろの春秋晩期から戦国初頭にかけての時期で,確実な出土例はすでに20例を越えている。この時期の鉄器は,燕・韓・楚の地域に集中している。鉄器には,農具・工具が多く,武器や装飾品なども若干存在する。鋳造・鍛造の両者がみられる。中国古代に特徴的な銑鉄鍛造はこの時期に出現した。戦国晩期に至ると,出土例は急速に増加する。鉄製の武器が顕在化する。農具もその種類が増加する。鉄の硬化技術が進展し武器類には焼きをいれた例も存在する。また,利器の実用面から,鋳造より鍛造が主流を占めてくる。
漢代にはいると,鉄器の普及は著しく進展する。特に鉄製武器の普及は注目され,剣・刀・矛・戟・甲冑・鏃などのほとんどが鉄器化する。それにつれて,容器などの日常用具についても鉄器化が進展する。さらに,鋼の製作技術も進歩する。銑鉄を精錬する間接製鋼法などが開発されている。
朝鮮には,まず紀元前3世紀ごろに鉄器が流入する。それは,中国の東北部からもたらされたものと思われる。その後,漢代の楽浪郡の設置以後に,その鉄器文化の影響を受け,朝鮮独自の青銅器類が鉄器にとってかわられる。
日本への鉄器の流入は,すでに,弥生時代の初頭から始まっていたとみられる。熊本県斉藤山遺跡からは,中国では戦国時代から前漢代にみられるものと同様な形制をとる鉄斧が出土しており,それは最古の弥生式土器である板付 I 式土器と共伴している。その他にもいくつかの弥生時代前期の遺跡で鉄器の出土が知られている。ただし,この時期には,実用利器としてはまだ石器が主流であったと考えられる。また,分布地域は西日本に限られる。弥生時代中期以降は,鉄器の分布はさらに広がり量的にも前期を大きくうわまわる。鉄器の生産は,九州では中期の前葉からはじまったと考えられる。しかし,いまだに石器が実用具の主流を占めていた。弥生時代後期には,鉄器の出土例は激増する。特に,西日本では石器類が姿を消し,実用利器が鉄器に交替したことが推察される。古墳時代前期には,古墳から多量の鉄器が出土し,一方では住居から出土する場合はまれであり,鉄器の集中所有化がうかがわれる。弥生時代後期における鉄器の普及は,生産力の進展とともに,階級の分化・首長層の成立の基盤となった。後期には,鉄器の大量副葬はみられないが,各地に築造された多数の古墳には鉄刀・鉄鏃などが普及しており,住居からも農工具の出土が増える。鉄生産の各地への拡大が予想される。
【研究の課題】上述の各文化には,鉄器時代の定義があてはまらないものが多く存在し,鉄器化の意義を“鉄器時代”という表現で説明することができず,実質的に,そのことばがもつ意義は少なくなっている。むしろ,必要なのは各域においてより総合的な時代区分の作業を進め,その中に実用利器の鉄器化という出来事の位置づけを行うことであろう。
〔参考文献〕潮見浩『東アジアの初期鉄器文化』1982
角田文衛『古代学序説』1954