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●鉄器 てっき

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 鉄器とは,鉄でできた,利器を中心とする器具全般のことである。しかし,考古学で扱う鉄器はより狭義のものであり,その用途によって,剣・刀・・槍などの武器,楯・甲冑などの武具,犁・鍬・鎌などの農具,斧・釶・鋸などの工具,轡・鐙などの馬具,ピンや帯金具といった装身具などに分類されており,鼎などの容器にも鉄製品がある。

 古代ギリシアの文献によれば,鉄はアナトリアのカリュベス人によって発見されたといわれている。しかし,考古学的には現在発見されている最古の鉄器群は,中央アナトリアのアラジャヒュイックの十三王墓出土の鉄剣や装飾品,上エジプトのゲルゼー墳墓出土のビーズ,イラクのウル580号王墓出土の鉄剣などをはじめとして,すべて前3000年〜前2000年ごろのもので,分布も「肥沃な三日月地帯」を中心とした広い意味での西アジアに限定されている。このような初期の鉄器は主としてニッケルを多量に含む“隕鉄”と呼ばれる自然鉄を鍛打してつくられたもので,その用途も儀杖用の短剣や装身具が主であった。のちには“鍛鉄”といわれる人工鉄がつくられるようになったが,これは製錬の際の温度が低いために炭素含有率が低く,もろくて利器としては利用できなかった。その後,鍛鉄に炭素を吸収させる浸鉄の技法や海綿鉄を鍛打して不純物を除くなどの方法が知られると“鋼”がつくられるようになり,その硬度のゆえに利器として完全に青銅器にとって代わるようになった。西アジアのヒッタイト帝国では,その首都ハットウシャシュやアラジャヒュイックなどで発見されている前16世紀〜前15世紀頃の製鉄址からもわかるように鉄器が普及していたと思われるが,その独占により鉄器が西アジア全体に急速に伝播することはなかったと考えられている。これらの点はいまだ明確にはされていないが,事実ヒッタイト帝国崩壊後の前1200年ごろになると,鉄器は西アジアから各地へと急速に波及しはじめる。ペルシア・エジプト・アッシリアへの鉄の伝播は前1200〜前700年ごろには遅くも完了していたと考えられ,ヨーロッパへの波及もやや遅れるが,ハルシュタット文化期(前8世紀後半〜前5世紀前半)の後期にはすでに行われていたと思われる。インドにおいては,ガンジス河流域のアトランジッケラやカウシャーンビー遺跡出土の小型ナイフなどが最古の鉄器と考えられるが,前者には放射性炭素年代決定法によって,前1025±100年という年代が与えられている。また,インドでは前100年ごろにルツボを使用したウーツ鋼と呼ばれる鋳鋼が生産されるようになり,ローマ帝国へも輸出された。中国では河北省藁城県台西村や北京市平谷県劉家河村遺跡から殷代(前16世紀〜前11世紀ごろ)のものと思われる鉄刃銅鉞が出土しているが,これは隕鉄と思われ,『左伝』などの「賦晉国一鼓鉄,以鋳刑鼎」という記事から前513年(昭公12)には鉄製容器が存在したとする説には承服しがたい。殷・周時代の鉄がすべて隕鉄であったとは言い切れぬものの,これらの時代では鉄は儀器的宝器的性格が強く,農工具といった実用品に使用されるのは春秋末〜戦国時代初頭からと考えられる。

 日本では弥生時代初頭から手斧・刀子・などが導入されているが,鉄器の生産は中期後半ごろ九州で始まって,後期以降全国に波及したと推定されている。弥生時代の鉄器には,鍛造品のほかに,幾つかの鋳造品があって,これらは朝鮮半島とのかかわりにおいて製作されたと考えられているが,日本における鉄器生産が最盛期に入るのは次の古墳時代以降であるとされる。

〔参考文献〕潮見浩『東アジアの初期鉄器文化』1982