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●哲学 てつがく

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【哲学とはどういう学問か】英語でいう philosophy などの訳語であるが,さらにさかのぼると古代ギリシア語のφιλοσοφιαに達する。これは,知を求める人という意味のことばからきたものといわれるので,原義は,知識を求めること,研究,などとなろう。そしてヨーロッパではながいこと,学問一般が哲学(にあたるヨーロッパ語)で呼ばれていた。ニュートンなども今日でいう物理学上の著作に『自然哲学の数学的原理』という題をつけているので,このころは,哲学ということばがかなり広い意味で使われていたことがわかる。しかし,時代がくだって19世紀になると,自然科学が広い範囲で大きな発展をとげていたため,とくにこれを「科学(science)」と呼び,哲学から区別することばづかいが,しだいに普及していくようになった。じつは science はラテン語に由来することばで,これも,知一般,学問一般をさすのに使われていたことばなのであるが,やがて,社会現象を扱う学問や,心理現象を扱う学問も,自然哲学のめざましい発展に刺激されてであろう,科学の名を名乗るようになった。それ以来,科学と哲学とは別の学問であるとする傾向が強くなったようである。日本に,ヨーロッパの学問が自由に入ってくるようになったのは,19世紀後半になってからであるから,日本でははじめから哲学と科学とを区別する習慣が根づいたように思われる。今では,学問はすべて科学であって,人生や宇宙についてとりとめのないことを考える,わけのわからないものが哲学だとしている人も多いようである。

 しかし,上に述べたように,もともとヨーロッパでは科学と哲学とは一つのものだった。また,ヨーロッパから学問が入ってくる前の日本にも,学問の伝統はあったのであり,この伝統的な学問は,ヨーロッパの科学とも哲学とも,かなり質の違うものだった。そして,この伝統的な学問も,現代において,まったく価値を失ったわけではなく,その研究者が,たとえばほうぼうの大学にもいる。だから,学問をすべて科学と呼ぶのは,少々乱暴ないい方ということになる。そこで,もう少し詳しく科学と哲学の歴史について述べてみよう。

 さきに述べたように,ニュートンの時代は,まだ科学と哲学との区別はなかったが,今から振り返って考えると,そのころあるいはもう少しさかのぼって,ガリレオのころから自然科学という新しい学問が成立しかかったように思われる。この2人の研究したものは,今では物理学と呼ばれるものであるが,やがて化学がこれに加わり,それに学問としては大変歴史の古い生物学で物理学や化学の応用が行われるようになってから,生物学も自然科学の仲間入りをするようになった。このような経過があるので,現在では,物理学を中心にした自然に関する学問が,自然科学だということになっている。この考え方は,20世紀になり,量子論と呼ばれる物理学の新しい分野によって,化学反応についての理論に基礎づけられたこと,分子生物学が化学の成果を利用して生命現象を調べるようになったことなどを考えると,かなりもっともなことと思われる。現に物理学者のなかには,自然科学は,根本的にはすべて物理学であり,化学や生物学は,いわば応用物理学にすぎないと考えている人もかなりいる。しかし,この考え方に対しては,「物理学帝国主義」という名を与えてこれを批判する人もいる。

 では,物理学はどのように性格づけられる学問であろうか。大まかにいうと,19世紀までの物理学は,ニュートン力学とクァラディ=マクスウェルの電磁気学とを2本の柱とする体系にまとめられる。そしてこの体系では,時間・空間・質量・電磁気量に関するいくつかの考え方が基本概念となっている。また,根本法則は3次元ユークリド空間のなかに分布する,これらの基本概念に対応する諸量が,時間とともにどのように変化していくかを述べる微分方程式の形で表される。20世紀になり,二つの相対性理論量子論・素粒子論が現れて,物理学は革命的な変化をとげた。この現代物理学の骨組みを,数学的な表現を用いずに言い表すことは不可能に近い。しかし,この革命的な変化にかかわらず,現代物理学には,思想的に19世紀までの物理学とつながる面があるということだけはいえよう。とにかく,物理学は広大な自然現象のなかのきわめて多くのものについて,たくみな説明を与えるという意味できわめて成功した自然学であるといえる。しかし,これは人間にとって可能な唯一の自然学なのではない。欧米と日本を除く文化圏には,物理学とはかなり違った方法で自然をながめる見方もまだ有力であるところがあり,そういったところでは,物理学とは違った自然学が行われている。また,ヨーロッパでも,15世紀ころまでは物理学とはかなり違った自然学が支配的だったのである。物理学を中心とした自然科学の影響が強い,現代の日本に住んでいる人たちは,ともすれば,そういった物理学ではない自然学を無価値な迷信として軽んずる傾向がある。しかし,物理学だけが唯一の正しい自然学であるということを証明するのは,必ずしもたやすいものではない。よくみられる議論に,物理学において使われる理論の優劣についての基準を,物理学ではない学問にあてはめた上で,物理学のほうが優れていると結論するというのがあるが,これは物理学が唯一の正しい学問であることを前提としているのだから,じつは筋のとおった議論にはならないのである。そのことはさておいて,学問の優劣について論ずること自体は,どの学問に属することがらなのであろうか。それこそが哲学の主要な任務なのだとする人たちもいる。とくに,19世紀の末から20世紀のはじめにかけてドイツで盛んだった新カント派の哲学には,学問あるいはもう少し一般的にいって,人間がものを知る働きを批判的に検討することだけが,哲学の仕事だとする傾向があった。ものを知る働きを検討する哲学の分野を「認識論」というが,この派の考え方では,哲学の全体が認識論によって占められることになるわけである。物理学の研究対象が自然現象であるとすると,物理学とほかの自然学とを比較している場合の議論の対象は,自然現象そのものではなく,自然についての学問であることになる。このように,他の学問についての議論が,それ自体一つの学問となると考えられる場合,後者の学問を「メタ学問」と呼ぶことがある。たとえば,物理学について論ずる学問があるとすると,これはメタ物理学になるわけである。古代ギリシアの哲学者として有名なアリストテレスは,その当時知られていたさまざまな学問の性格や構造を分析することから,その研究を始めていることも多い。こういうところをみると,メタ学問というのは,確かに哲学の性格の一面をよく表した名前だということになる。しかし,古代ギリシアの哲学者といわれる人たちは,メタ学問だけを研究していたわけではない。たとえば,千変万化する多彩な自然現象を前にして,これを支配している単純な統一的原理があるのではないかと仮想し,これを求めることに精力をそそいだ哲学者も大勢いたのである。アリストテレスの著作にも,この方面の仕事に属するものが多数含まれている。科学時代の今日,こういった研究は科学の領分に属し,哲学の仕事ではないと感じる人も多いのではないかと思われる。しかし,このように科学と哲学とをきびしく分けるよりも,自然科学を古代ギリシアの自然哲学者の努力を現代において受け継いだもの,したがって,哲学の一種とみなしたほうが適当ではないかと思わせる局面も多いのである。もちろん,現代の自然科学と,とくにアリストテレスの自然学とのあいだには,大きなへだたりがあることは否めない。しかし,たとえば現代物理学の大家の一人,ハイゼンベルクがインスピレーションを求めて,古代ギリシアの哲学の書物を読んだという逸話からも知られるように,ヨーロッパの科学者の多くにとっては,古代自然ギリシアの哲学は,自然科学の源流の一つと感じられることがあるようである。では,なぜ古代ギリシアの哲学と,現代の自然科学とのあいだにつながりが感じられるかといえば,論理性を強調する点が両者に共通だからではなかろうか。複雑な自然現象の背後にある統一的な原理を求めたいという願いは,もろもろの民族において,まず神話という形で実を結んだ。古代ギリシアにも有名な神話があり,そのなかにも,数々の自然現象についての説明がみられる。しかし,神話は多くの場合,全体としてつじつまが合うことを求めない。また,神々の存在などをたやすく仮定してしまうが,なぜそういった存在を考えなくてはならないかについて,筋の通った説明を与えようとはしない。だが,古代ギリシアには,こういった神話の性格にあきたらず,すべてをなるべく理づめに理解しようとする人々が出てきた。こういった人たちの一部が,哲学と呼ばれるようになった学問をおこしたのだともいわれる。つまり,最初に哲学とは知識を求めることだと述べたが,このときの知識は,単なる知識ではなく,論理的に筋が通った知識でなくてはならないと考えた古代ギリシア人が多かったのだといわれる。

 自然科学においても,論理的な話の運び方が重んぜられる。実験や観察にもとづいて主張をたてるときにも,なぜ,実験や観察の結果からそのような主張が引き出されるのかを論理的に筋道を通して説明しなければ,その主張は,学界から相手にしてもらえない。また,すでに知られている多くの成果を,一つの理論によって体系化することは,実験や観察と並んで,自然科学者の重要な仕事であるが,この体系化はやはり,論理的な筋道に沿ったものでなくてはならないとされる。このように論理を重視する点に,古代ギリシアの哲学と,現代の自然科学との共通の性格がみられる。

 ヨーロッパ文化の伝統を築く上で大きな役割を演じたものに,古代ギリシアの文化と並び,ユダヤ教から分かれたキリスト教がある。これは,信仰を重んずるイデオロギーであるから,論理性を追求する哲学とは相いれないもののように思われる。事実,ローマ帝国にキリスト教が普及しはじめたころは,キリスト教の信者で哲学を敵視した人も多かったといわれる。しかし,中世になると,ギリシアの哲学の伝統がキリスト教と結びついて,新しいタイプの哲学が生まれるようになった。これは,キリスト教の信仰と両立することを必要条件としながらも,信仰から出発するのではなく,むしろ信仰の内容となっていることを論理的に基礎づけようとつとめるものであった。したがって,これもまた論理性を重視するものであったといえる。この中世の哲学は,論理を重視しすぎて,実験や観察により事実に当たることを怠ったという批判がときどき行われる。これが,歴史的にいって完全に公平な批判であるかどうかについては疑いがあるが,近世になっておこった自然科学が実験を重んずることをきわだった特色としていることは事実である。しかし,それと同時に,自然科学においても論理性がきわめて重要なものであることは,さきに述べたとおりである。 世に哲学といわれるものはきわめて多く,これに共通する性格を一口で述べることは,まず不可能と思われる。しかし,古代ギリシアの哲学,中世ヨーロッパの哲学,近世以降の自然科学に共通するものとして論理性の重視があるところをみれば,一つの学説が哲学と呼ばれるための条件の一つとして,論理性を備えていることをあげることは,歴史的にいってそれほど見当はずれなことではないように思われる。とにかく,ここでは,論理性を重んじない学問は,哲学ではないということにしておく。この見地をとると,ヨーロッパ以外の文化圏で伝えられてきた学問の多くは,哲学ではないことになり,またヨーロッパの学問のなかにも,哲学ではないものがあることになる。しかし,そういう学問がすべて価値がないということにはならない。たとえば心の悩みを解決するための学問というものがあるとしたとき,それが哲学でなくてはならないということはない。哲学は,心の悩みの解決の上ではしばしば無力で,その方面では,別のものに席をゆずらなくてはならないと考えられる状況も多いのである。芸術に関する学問も必ずしも哲学である必要はないであろう。

【論理学】論理性を哲学の要件とした以上は,論理とはどういうものかについて,少し立ち入って論じておく必要があろう。論理的に筋の通った話し方をする能力は,大概の人が備えていると思われる。言い換えれば,論理的におかしな話し方をされると,そのことに直観的に気づく能力が多くの人にあるように思われる。この直観的な能力にもとづいて,古来多くの文化圏で,繰り返し繰り返し論理的な議論が行われてきたものと思われる。このような経験の積み重ねの結果,一部の人たちは,論理的に正しい議論にはいくつかの決まった形があることに気づいた。もう少し詳しくいうと,正しい論証のなかに,前提が少なく,結論が出ることが直観的に明らかな,ごく短い論証,すなわち,以下では正しい「推論」と呼ばれるものがあり,うまく概念を整理すると,正しい推論の形式は比較的少数のものに分類できることに気づいた人たちがいた。こうして,正しい推論の形式を整理分類することを任務とする学問が生じ,これは,今日「論理学」と呼ばれる。論理学は,今から二千数百年以上前に,古代インドと古代ギリシアとで,おそらくそれぞれ独立に生じたものと考えられているが,今日広く行われているのは,古代ギリシアに由来する,ヨーロッパ系の論理学である。このヨーロッパ系の論理学において,最初のまとまった文献として今日まで伝わっているのは,アリストテレスの著作である。この著作の影響は大きく,長いあいだ,ヨーロッパではアリストテレスにならって正しい推論の形式を分類することが行われていた。19世紀後半になり,ようやくアリストテレスの論理学の徹底的な再編成が行われた。この再編成以後の論理学を「現代論理学」と呼ぶ。さて,アリストテレスは推論の形式の分類だけ行ったのではなく,また,学問の公理論的構造についても研究した。すなわち,一つの理論のなかで主張されていることを整理すると,証明なしに受け入れられることを要求しているもの――公準と,公準から論理的に正しい論証によって演繹されるもの――定理とに分かれることに,彼は注目したのである。これは,当時のギリシアの数学者が得られた成果を,公準から定理を証明する形でまとめていたことを,彼が知っていたからであると思われる。事実,彼よりは少し後代のギリシアの数学者エウクレイデスは,整数論と幾何学との諸成果を,きわめて厳格なやり方で,公準からの定理の証明という形でまとめた書物『原論』を著した。この原論の公準の数はきわめて少なく,しかも,どれも直観的に正しいことが明らかなもののようにみえる。そして,定理のなかには,内容がかなり複雑なものもあり,これを単独に読んだだけでは,正しさが自明ではないものもある。しかし,それが,正しさが自明な公理から論理的に正しい論証だけによって証明されていることを知れば,その正しさも納得できるように思われる。少数の公準から他のすべての主張を論証する形でまとめられているこの『原論』は,その後長く,ヨーロッパの学者に,強い感銘を与え,『原論』の体裁にならってその成果をまとめることが,さまざまな学問の目標となった。たとえばニュートンはその主著を『原論』にならってまとめているし,スピノザもその「倫理学」において『原論』のスタイルをとっている。デカルトもまた,ただ一つの確実な原理から,すべてを論証によって導き出そうとした哲学者として有名である。その限りでやはりエウクレイデスの伝統に立つといえようが,彼の場合,第1原理は,直観的に自明なだけのものではない。むしろ,彼は直観が誤りやすいものであることに注意を払い,直観だけに頼ることを避け,すべてを疑った。しかし,疑えば疑うほど,疑っている自分の存在だけは疑えなくなるとして,有名な「私は考える。だから私は存在する」という命題を第1原理としたのである。この第1原理の導き方およびこれからすべてを論証によって導き出そうとした彼のやり方が成功したかどうかについては,いろいろな議論がある。とにかくデカルトの場合を含め,ヨーロッパの学者,とくに数学者と哲学者はエウクレイデスの影響下にあったといってよいであろう。

 さて,ふたたびアリストテレスの論理学に話を戻すと,アリストテレスは,推論を組み立てる命題の形式を調べることから,今日のことばでいうと二つの集合のあいだの包含関係に言及している。また,集合とその元とのあいだの関係にも注目している。必ずしもアリストテレスの言い方にはこだわらずに,現代的な言い方でこの二つの関係について述べれば,次のようになる。「犬は哺乳動物である」という命題は,犬という種に属する動物がすべて哺乳動物という類に属することを述べているので,一つの集合Aが,もっと大きな集合Bに含まれるという関係を言い表しているものといえる。また,「ポチは犬である」という命題は,ポチという個体が犬という種類に属することを述べているので,一つの集合に,一つの個体が元として属する関係を言い表しているものといえる。この二つの関係は,このように日常生活に登場するごく簡単な言いまわしのなかにも現れているもので,ごく単純な関係といえる。しかし,アリストテレスがこの関係に注目したのは,偶然のことではなかったかも知れない。この二つの関係に登場する集合と個物との二つの概念は,哲学者に大きな役割をもつ概念だからである。そのことは,次の節で論ずる。

 さて,哲学者アリストテレスが論理学の著作のなかで,数学の公理論的構造に注目してことばをさいたという事実があったにもかかわらず,その後,哲学・論理学と,数学とは,比較的没交渉にすぎた。たとえばデカルトやライプニッツのように,哲学と数学との双方で業績をあげた人もいたので,両者がまったく無関係だったわけではないが。しかし,19世紀後半に現代論理学がおこってからは,また,両者のあいだに密接な関係が生じた。それは,一つには,現代論理学が,集合の構造を調べる新しい数学,集合論を基礎とする形で発展したからである。集合論は,アリストテレスがあの二つの関係に注目したことを考えあわせると,論理学の現代版とみることができる。こうして数学の諸概念はみな集合論のなかで定義できることがわかったので,論理学と数学とはいわば地つづきの関係にあること,もっとつきつめていえば一体であることが明らかになった。

 しかし,やがてこの集合論のなかに,数々の矛盾があることがわかり,大きなセンセーションがひきおこされた。たとえば,認識論を研究していた哲学者の多くは,従来数学を最も確実な学問と考え,むしろ学問の典型とさえ考えていたので,数学が矛盾をはらむものであることがわかると,学説上大きな打撃を受けることとなった。もっとも,このことが実際に哲学者の意識に浸透するには,多少の時間がかかった。また論理学では,集合論を矛盾のない形に再編成するにはどうしたらよいかという問題が生じたが,これは大変な難問であり,今日に至っても完全な解決をみてはいない。しかし,この難問の解決のために払われた努力がさまざまな副産物を生み,そのため論理学は大変進歩した。その成果のなかにはコンピュータに関連するものもある。

【現代哲学の諸問題】自然科学を哲学の一種とみなすことができることは,さきに述べたとおりであるが,自然科学の諸分野では専門分化が激しいので,これらをひとまず哲学とは別のものとしておいたほうが便利な場合もある。以下では,科学者が扱わず,職業の上で哲学者と呼ばれている人たちが関心をもっている問題のいくつかについて述べることとする。

 まず,集合に関する問題からとりあげよう。個人,生物の個体,個々の物体,これらはいずれも五感によってその存在を確かめることができるものである。ところが,人類すなわち人間全体からなる集合というものは,五感ではふれることができない。自然数・実数・ベクトル空間といった数学的な対象も,それぞれ集合とみなすことができるが,こういった対象もまた抽象的な存在であって,五感でふれることはできない。「このようなものは,名前だけあってこれに対応するものは存在しない。確かに存在するのは,個物(個人や個体を含んだ意味でいう)だけだ」と主張する立場を「唯名論」という。これに対して,集合(またはこれに類する抽象的なもの)が実際に存在すると主張する立場を「実在論」という。唯名論実在論とのあいだの論争を「普遍論争」というが,これは,以前は集合にあたるものを「普遍者」と呼んだからである。普遍論争は,すでに古代ギリシアで行われていたとみることができるが,中世哲学でも盛んに行われ,とくに中世末期に新しい哲学の動向がひらかれる原因の一つになったといわれている。哲学に入門したばかりの人は多く,唯名論になりやすい。それだけ唯名論はわかりやすい立場だということになる。しかし,少し反省してみればわかることであるが,日常生活で使われていることばのなかにも,さまざまな学問で使われていることばのなかにも,集合を存在するものとして扱っている語法はいくらでもある。この種の語法を,唯名論の立場にあうように書き直すのは不可能なことが多い。こういうところから,実在論にはそれなりの根拠があることがわかる。しかし,むやみに集合の範囲をひろげてしまえば,矛盾に陥ることは,19世紀の終わりから今世紀の初めにかけ,当時の集合論のなかに矛盾が発見されたことからも察せられる。どの範囲までの集合の存在を認めるべきかという問に対しては,こうしてまず,矛盾をしりぞけるという見地から一つの手掛かりが与えられるが,では矛盾を含まない限り,どこまでも範囲をひろげてよいであろうか。じつは,矛盾のない形に集合の範囲を定めるにも種々のやり方があることが,論理学の成果からわかっている。そのうちどのやり方によるかは,好みによって決めればよいという人もいる。しかし,何が存在し,何が存在しないかということが,好みによって決まってよいものであろうか。とにかく,哲学のなかでものの存在を論ずる分野のことを「存在論」というが,普遍論争は存在論のなかの論争の一つである。

 さて,現在の集合論は,エウクレイデス以来の伝統に沿った形で,公理から定理を導き出す形で組織されている。その公理の組み合わせ方には,いくつもの流儀があるが,どの公理群もその内容が妥当なものであるらしいことは,論理的な直観によって察せられるものばかりである。そうして定理の演繹はまったく論理的に行われる。つまり,集合論を発展させる上では,観察や実験のような経験に頼る必要はまったくない。つまり,集合論の成果は,論理に主として頼り,経験を使わずに得られる知識だということができるが,このような知識を重んじ,経験が知識の上で果たす役割を軽んずる立場を「合理論」という。これに対し,経験によって得られる知識のほうを重んずる立場を「経験論」という。近世哲学の立役者のうち,島国イギリスにいたロック,バークリ,ヒュームは,経験論の代表とされ,一方ヨーロッパ大陸にいたデカルト,スピノザライプニッツ合理論の代表とされる。そしてカントは両者の総合をはかったといわれることがある。だが,合理論経験論の争いは,近世特有のものではなく,やはり古代ギリシアまでさかのぼってその先例を求めることができる。たとえばプラトンは合理論に傾き,アリストテレスは,合理論者としての面を備えつつも,経験論的な立場から,師プラトンの哲学に対して批判的な議論を行っているとされる。現代において,自然科学は,実験で観察を重んずるから,一見経験論のほうに傾くもののように思われる。しかし,自然科学をほかの自然学から区別する特色の一つは,数学すなわち集合論をことばとして用いているという点である。その理論の内容を深く理解するのには,五感に頼る経験にこだわっていては駄目で,かえって抽象的な数学的対象の一種の実在性を承認する見地をとらなくてはならない場合も多いのである。つまり,自然科学には,合理論者にとって身近に感ぜられる面も多分にある。自然科学における合理論的側面と経験論的側面との配分をどのように定めるか,たとえば,科学の理論の発展において経験と論理がそれぞれ果たす役割をどのようにとらえるかをめぐっては,最近の哲学界で活発な論争がくりひろげられている。いわゆる「理論交代の問題」をめぐる論争である。これは自然科学以外の学問,たとえば歴史学についても生じ得る論争であり,事実先世紀末から今世紀初めにかけては,歴史学をめぐって似たような論争が生じたとされる。物理学は,さきに述べたように時間・空間・質量・電磁気量に関する概念を根本概念として組み立てられていて,そして,心に関する概念は用いない。これが昔の自然学と物理学とを区別する特色の一つになっている。そうして,物理学は,物質に関することがらについては,多くの現代人に訴える力のある精密な説明をしてくれる。人間の身体も,いうまでもなく物質でできているから,その構造や働きも広い意味での物理学によって解明されるものと期待されている。一方,心に関することがらは,昔ながらの概念で詳しく言い表されることを多くの人は疑わない。つまり,心の問題を理解するのには,ふつう物理学を必要としない。しかし,物理学的な自然科学が進歩すれば,やがては心の現象も,まったく物質現象として理解できるようになるのではないか。つまり物質と区別される心などというものは存在せず,すべては物質だけではないか。この問に肯定的に答える立場を「唯物論」という。これに対し,物質と心との両方の存在を認める立場を「物心二元論」という。また,現代においては少数派に属するが,根源的な存在としては心の存在しか認めない立場もあり,これを「唯心論」という。唯物論・二元論・唯心論のあいだの争いは,存在論のなかでの論争の一種である。

 物心二元論の立場をとる人にとっては,人間という物質としての身体と,心との二つの側面を備えているものにおいて,身体の働きと心の働きとがどのように関連しているかを見定めようとする問題が生ずる。これを「身心問題」というが,これは,近世になり自然科学が登場したあとに,熱心に論ぜられるようになった問題といえるであろう。また,物心二元論であれ,唯心論であれ,とにかく心の存在を認める立場のものにとっては,複数の心がどうやって考えていることを伝えあうのか,という問題が生ずる。感じていること,考えていることは,直接には当人しかわからず,これを他人に伝えるのには,広い意味でのことばをなかだちにしなくてはならない。ところが,ことばには多義性があるので,考えていることが正確に伝わるという保証はない。このごろのようにコンピュータなどということばをたくみにあやつる機械が出てくると,コンピュータの言語処理の結果と,心を備えた生物の考えの表現とが,見分けがつかなくなるということが生ずる。こうして,他人に心があることをどうやって証明するか,また,その証明ができたとして,他人が考えていることを誤りなく知る手だてをどうしてみつけるか,という問題が生ずる。この問題を「他人の心についての問題」といい,活発な論議の的となっているものの一つである。

 伝統を振り返ってみると,「美の基準はどこにあるか」「善悪の基準はどのようなものか」を論ずることも,古来哲学の重要な任務とされてきた。ときには,この二つの問題をそれぞれ論ずる分野に,「美学」「倫理学」という特別の名が与えられたぐらいである。この二つを合わせた分野は,ときに「価値論」と呼ばれる。しかし,事実においては,美や善悪の基準において,個人差・時代差・文化差があることも,よく知られていることである。そこで,そもそも普遍的な基準を見出すことが可能である保証はあるのかを問い,結局は,この問に否定的な答を出す哲学者も昔からいる。とくに現代においては,多少ともこの否定に傾く哲学者が多い。いずれにせよ,このように価値論そのものの可能性を論ずることは,メタ価値論であり,これは認識論に属する。

 以上述べたことから察せられるように,存在論・認識論・価値論が,哲学の三大分野であるといえる。ただし,この三大分野のあいだには密接な交流関係がある。たとえば,自然科学を唯一の正しい知識であるとする立場を認識論においている人は,存在論においても自然科学にもとづいて議論を展開することになろう。ここで紹介したいろいろな立場のうちどれが正しいのかについては,ここでは述べない。興味のある読者は,直接,哲学の本を読んで自分の判断を決めるとよい。ただし,その際,論理的に筋の通らないことをいっているものは,哲学としては落第だとするべきであることを,繰り返し強調しておこう。

〔参考文献〕吉田夏彦『論理と哲学の世界』1977,新潮社