●鉄 てつ
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金属元素の一つで,元素記号はFe,比重は7.86,融点は1,530℃,沸点は約3,200℃である。鉄は,純鉄・錬鉄(鍛鉄)・鋼(鋼鉄),銑鉄(鋳鉄)に区分される。純鉄は,炭素ならびに他の夾雑物を含まず,白色光沢をもち展延性が強い。実用の鉄は,炭素との化合物として存在する。錬鉄は炭素の含有量0.1%以下で,硬度が低いが可鍛性がある。刃物などには適さない。鋼は炭素の含有量0.1〜1.7%程度で,硬度が高く可鍛性があり焼入れも可能である。農具・工具・武器などの利器に適している。銑鉄は炭素の含有量1.7〜4.5%程度で,硬度は高いが脆くて可鍛性がない。主として鋳造用に使用される。鉄は自然鉄としてごくまれに存在するが,通常は鉄鉱石を還元して鉄を得る。自然鉄としては別に隕鉄がある。製鉄に使用される鉄鉱石には,磁鉄鉱・赤鉄鉱・褐鉄鉱などがあるが,古代ヨーロッパでは褐鉄鉱の一種である沼鉄,わが国では,磁鉄鉱・赤鉄鉱・チタン鉱物を含む砂鉄が多く使用された。人類の使った道具は,石から銅と錫の合金である青銅を経て鉄に変わる。鉄は今日まで連続するが,新大陸ではヨーロッパ人の進出まで鉄は知られなかった。鉄の原料は世界中に分布するが,一部で青銅器の出現より遅れるのは,銅や錫の溶融温度に対して,鉄のほうが高く高度な冶金技術を必要としたこと,初期の人工鉄は半溶融の海綿鉄として取り出され,これを鍛打して錬鉄を生産したため,刃物などに要求される硬さがなかったことによる。鉄は,鉄鉱石を還元して鉄を得る製錬の工程と,鉄の品質を高め性質の異なった鉄とする精錬の工程を経て鉄器に製作される。後者は,古い時代には鍛冶師がこれを分担した。【西アジアの鉄】鉄の起源については,西アジアに一元的にみる説と多元的にみる説があるが,現在のところ,最古の鉄は西アジアに多く存在する。鉄鉱石そのものの発見は,石器時代にさかのぼり,赤鉄鉱を粉末にして顔料として利用したり,玉類などの装身具類に製作された。さらにメソポタミアの初期王朝時代には,円筒印章や棍棒頭などにも使用されており,鉄鉱石の還元には至らなかったが身近なものではあった。現在西アジアの各地で出土している最古の鉄器は,前3000年から前2000年にわたる時期のもので,イラン・イラク・トルコ・シリア・レバノン・エジプトなどに分布し,これらの鉄器には二つの種類がある。その一つは,アナトリアのアラジャ=ヒュユク出土の鉄の飾板・ピンなどで,分析の結果ニッケルを含む鉄であることが判明し,これは自然鉄(隕鉄)を鍛打加工したものである。同遺跡出土の黄金製の柄をもつ鉄剣も同様にみられている。もう一つは,ニッケルを含まない,いわゆるニッケル=フリーの鉄器で,エジプトのアビドスの第6王朝時代の酸化鉄塊,メソポタミアのテル=アスマル出土の鉄の短剣などがその例である。これらは海綿鉄を鍛えて製作したもので,ビーズ・指輪・腕輸・護符・儀式用短剣・飾板などの装身具や儀器に限られる。鉄が農具・工具・武器などの利器として使用されるのは,錬鉄の表面を硬化させる方法(滲炭)が開発されてからである。ギリシア人の記録によると,硬い良質の鉄は,アナトリアに居住したカリュベス人が開発したといわれる。当時アナトリア高原に出現したヒッタイト帝国(前1450〜前1200)が,この良質の鉄を独占したといわれるが,この間の事情はまだ十分に解明されていない。西アジアで鉄が急速に普及するのは,前1200年以降のヒッタイト帝国崩壊後にあたり,R. J. フォーブスによると,鉄は前1200年から前1000年ごろにはペルシアに,前1200年から前700年のごろにはエジプトに,前900年ごろにはアッシリアに,そして前600年ごろにはヨーロッパに伝えられたという。ペルシアの鉄は,さらに中央アジアとインド・パキスタン方面に大きな影響を与えた。とくにインドでは,前2世紀ごろから高炭素鋼がみられ,ウーツ鋼と呼ばれるものに連なる。ローマ時代にダマスクス鋼と呼ばれた硬質の鉄と,軟質の鉄を合鍛えによって製作した波文(錵(にえ))のある鋼は,西アジアから中央アジアに広く分布したようであり,ササン朝ペルシアの時代には中国にも伝えられた。
【東アジアの鉄】東アジアの最古の鉄器は,中国の殷・周代にみられ,西アジアと同様に2種類の鉄からなる。その一つは,河北省台西村の殷中期の墳墓から出土した青銅製の鉞(えつ)の刃部に鉄の使用された鉄刃銅鉞で,これは分析の結果,ニッケルを含有する隕鉄とみられている。同様な例は,北京市劉家河村出土の殷代の鉄刃銅鉞・河南省衛輝府出土の周初の鉄援銅戈(か)・鉄刃鋼鉞などがある。もう一つは,不確実な資料であるが,青銅器の鋳造の際の型もたせに鉄の使用された例や,鐘の内側の環に鉄の使用された痕跡を残すものなどがあり,これらは利器になりえないが,人工鉄(錬鉄)の存在を推測させる。近年の出土資料として確実なものは,現在のところ前5,6世紀の春秋末から戦国早期に限られる。江蘇省程橋鎭1号墓・2号墓では,前者から白銑鉄の鉄塊1,後者から海綿鉄鍛造の鉄棒1が出土しており,銑鉄と錬鉄両着が存在する。しかしこの時代の鉄器は,鋳造製の農具・工具が主流であり,鍛造製のものはごくわずかである。それは錬鉄を硬化させる技術が,まだ十分に開発されなかったことに関連する。鋳造製の農工具の硬いが脆いという弱点は,刃部を脱炭することによって克服された。戦国晩期になると,河北省燕下都44号墓出土の鉄戟・鉄矛・鉄剣などのように鉄製武器類が急増する。これらの鉄器は,海綿鉄を鍛造したもの,表面を硬化させて鋼にしたもの,さらに焼きの入ったものからなり,錬鉄を硬化させる技術の進展を示す。前漢の満城1号墓出土の劉勝の佩剣や書刀も海綿鉄鍛造のものである。前漢中期以降になると,鉄製武器のうち長剣は大刀に交替しはじめるが,その背後には,銑鉄を脱炭して鋼とする技術の開発がある。河南省鉄生溝の製鉄遺跡では,海綿鉄を生産した炉と銑鉄を生産した炉のほかに,銑鉄を脱炭して鋼とした製鋼炉や炒鋼炉と呼ばれるものがある。銑鉄を脱炭した鋼は不純分が少なく,この間接製鋼法が前漢中期以降の優秀な鉄製武器を生み出した。さらに後漢に入ると,丗錬・五十錬・百錬と記載された金錯の紀年銘をもつ鉄剣・鉄刀がみられ,百錬鋼といわれる反復鍛打の鋼が出現する。中国の製鉄には,すでに漢代から木炭を燃料とするほかに石炭や練炭が使用されるが,それが本格的になるのは宋代以降であり,『天工開物』によると中国独自の製鉄法が完成された。朝鮮の鉄の出現にあたっては,二つの時期にわたって中国からの強い影響が認められる。その一つは,戦国晩期の燕の領域からの鋳造鉄器と,鍛造の鉄器の伝播である。そのなかで,朝鮮の初期鉄器として定着したのは,鋳造の鉄斧を中心とした工具もしくは農具に限られる。朝鮮の鋳造鉄器類は,まず西北朝鮮から東北朝鮮にひろまり,ついで南朝鮮に波及した。もう一つは,前108年(元封3)の漢武帝による楽浪郡ほか3郡の設置によって,漢代の鉄が直接朝鮮に入ったことである。楽浪漢墓出土の多くの鉄器類は,漢代の高度な技術水準を示しており,それらはやがて在地の族長に受け入れられる。士壙墓と呼ばれる墳墓にも1世紀以降になると,青銅製の武器から鉄製の武器に交替する。『魏志』東夷伝の弁辰の条には,〈出国鉄,韓穢倭皆従取之……又以供給二郡〉の記事があり,3世紀ころの鉄生産の進展を物語る。朝鮮の鉄はわが国にももたらされた。
日本における鉄使用の開始は,前述の中国・朝鮮の,直接・間接の影響が交錯しており単純ではない。最古の鉄器は,弥生時代の初頭にみられるが,道具の主流は石器であって,初期の鉄器類は朝鮮で製作されたものと推測される。鉄器の普及するのは弥生後期以降であり,この時期あたりからわが国で鉄生産が開始されたのであろう。古墳時代には農工具から武器に至るまで鉄器化し,これらの鉄原料は砂鉄によるものが多い。砂鉄の起源についてはまだ明瞭ではない。奈良・平安時代の調・庸として,国に貢納される鉄・鍬は,中国地方の砂鉄を原料とした鉄が主流となっている。8世紀以降全国的に検出されている製鉄遺跡も,砂鉄製錬によるものが中心で,中国地方などの西日本では長方形・長楕円形の箱形炉が多く,関東を中心とする東日本では,丘陵端を利用した半地下式の円筒形に近い炉が出現し地方的特色を示す。中世における製鉄の状況は,現在のところ明らかでないが,日本刀の製作などの鍛冶技術には大きな進展があったと推察される。『鉄山必要記事(鉄山秘書)』に記載されるような厳重な地下構造をもつ炉や,天秤鞴と呼ばれる大がかりな送風施設を備えた製鉄は,元禄以後中国地方に出現する。砂鉄を鉄原料とし木炭を燃料とするこの製鉄を「たたら吹製錬法」と呼び,わが国古来の製鉄法の完成された姿といえよう。この方法では,直接鋼が生産されるほか銑鉄も生産され,銑鉄は大鍛冶場で脱炭された。砂鉄の採集も鉄穴流し法で大規模に行われた。やがて幕末には,ヨーロッパの近代製鉄技法を導入した反射炉・高炉が築かれ,明治以降は洋式の製鉄法が主流となり,在来の製鉄法が消滅していった。
【ヨーロッパの鉄】中部ヨーロッパに鉄の出現するのは,ハルシュタット文化(前600〜前500)・ラ=テーヌ文化(前500〜前100)の時期で,海綿鉄を生産するボール形炉から円筒形のシャフト炉に進展した。12世紀には水車が製鉄に使用され,とくに鞴(ふいご)の送風に力を発揮し,炉は高さ3〜4mに達するものになった。これにより14世紀には,銑鉄が生産されはじめる。15世紀から10世紀には,高さ4〜5mに達する木炭高炉が出現し,鉄の生産は増大し,ドイツ・イギリス・スウェーデンがその中心となった。18世紀には,石炭からコークスを生産してこれを燃料としたコークス高炉が出現した。さらに19世紀には,ワットの蒸気機関の発明によって,従来の水車による方法にとって代わった。ヨーロッパの鉄は,動力や燃料の大きな転換とともに製鉄―製鋼―転炉などの製鉄の技術的革新が繰り返され,大量のしかも安価な鉄の生産を保障し,近・現代製鉄の主流となった。
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