●テセウス
ヨーロッパ ギリシャ共和国 AD
アテナイの国民的英雄。アテナイ王アイゲウス(あるいは海神ポセイドン?)とペロポンネソス半島北東部トロイゼンの王ピッテウスの娘アイトラの息子。身重のアイトラを残してアテナイに帰るアイゲウスは洞穴に剣と靴を隠して岩で蔽い,生まれる子供がそれらを自分で取り出せるようになったらアテナイによこすようにと言い残して去った。ピッテウスに育てられたテセウスは剣と靴を取り出し,海路を奨める祖父と母に逆らって,陸路アテナイに旅立った。途中,コリントスやメガラで人々の恐れる盗賊などを退治した。彼らは己の得意とする人殺しのやり方で,逆に自分が退治されたと伝えられている。彼らのなかにエレウシス付近で旅人を襲っては,自分の寝台の長さに合わせて手足を伸ばしたり切り落としたりして殺したプロクルステスが含まれている。アテナイに到着してのち,テセウスは父アイゲウスと結婚していた魔女メディアの陰謀から危うく逃れた。9年ごとに(毎年という説もある)クレタのミノス王に与えられるアテナイの7人の若者と7人の乙女を救出するために,テセウスは自ら志願してクレタのクノッソスに赴き,ミノタウロスの棲む迷宮にとじこめられたが,彼に恋した王女アリアドネの与えた毛糸の玉を使って外界に脱出した。帰国後アテナイ王となり,有名なアッティカ統一(シュノイキスモス)を行う。もちろん,これは長期にわたる政治的発展の産物であって,テセウス個人の業績に帰すべきものではないであろうが,前6世紀以降アテナイ人は,彼を王政を放棄して民主政を導入した最初の人と考えたのである。すなわち,プルタルコスの『テセウス伝』によれば,「都市を一層大きくするため平等を条件としてすべての人を呼び集めた」(25章)のである。テセウスは共通の祭パナテナイアを始めた。彼はまたポセイドンを讃えるイストミアの競技を始めた。ヘラクレスが関係して始められたゼウスを讃えるオリンピア競技に倣ったのである。このほかに伝説は,誘拐された女王アンティオペ奪回にアテナイを攻めたアマゾンを彼らがアレオパゴスで撃退したと伝える。彼の後妻ファイドラが義理の息子ヒッポリュトス(アンティオペの子)に邪な恋心を抱いたというのは,悲劇詩人の好む主題であった。親友ペイリトオスとの出会い,彼らのヘレネ誘拐,アイドネウスの捕虜となりヘラクレスに救出されたことなども伝えられているが,注目すべきは晩年のテセウスがメネステウスなる貴族の陰謀で王位を奪われ,亡命先のスキュロス島で王リュコメデスに殺害されたという点である。これは,伝説の背景に歴史的事件の実在を疑わせる物語である。死後テセウスはアテナイ人によって(ヘラクレスがドリス人によってそうであるように)半神として崇められた。ペルシア戦争中にテセウスが戦場に立ってギリシア軍を導いたという噂が流れた。戦後,テセウス崇拝は一層強くなり,その遺骸探しが企てられたが,キモンが発見してアテナイに持ち帰り埋葬した。要するにテセウスは,ヘラクレスと並び称せられる伝説の人であり,ローマの建国者ロムルスと対比される程度に歴史上の人物であったといえよう。