●デウシルメ
アジア アジア AD
オスマン帝国において,「カヌーヌ=デウシメル」という法規にもとづいて,キリスト教徒少年を定期的に徴用した制度。15世紀以後,18世紀前半チューリップ時代直後まで実施された。オスマン帝国は,オスマン王家に専従的に奉仕する使用人や吏員を確保し,また,イェニチェリ軍団の要員を確保するために,この制度を設けた。そして,アルバニア・ギリシア・ブルガリア・セルビア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・ハンガリーのキリスト教徒農民の少年を,法規に定めた手続きに従って一定数徴用した。やがて,アナトリアのキリスト教徒少年も徴用の対象となった。しかし,孤児・親一人の少年,既婚者などは除外された。おもに7,8歳から10歳の少年が徴用されたが,ときには14,15歳,また,17,18歳の少年が徴用されたこともあった。徴用は40戸から1戸の割合でなされ,眉目秀麗・容姿端整・頭脳明晰・身体強健な少年が選ばれた。背丈も高からず低からず,要するに中肉中背の少年がその標準とされた。家族の多い家では息子のなかの一人,二人息子の場合は優秀な一人が選ばれた,徴用された少年は,クズル=アパという赤の道巾着を着用し,先のとがった円錐形の帽子をかぶり,首都イスタンブルに護送された。道中の衣装に要する費用と護送の経費は,少年の属する村落の負担とされ少年たちはまとめて送られた。護送途中の滞在費は,滞在する各地の地元民が負担した。首都到着後,少年たちはイスラームに強制的に改宗させられ,それそれの適性を試され,各種の役務にあてるため,適性に応じて知的訓練や肉体訓練を受けた。眉目秀麗・頭脳明晰で知的活動に適すると判断されたものは,イチ=オウラー(近侍の意)と呼ばれた。彼らは,宮廷におけるさまざまな用務に従ったが,宮廷における吏員の将来が約束されていた。身体強健なものは,ボスタンジ=オジャクという軍団に配属された。彼らは,この軍団からトルコ語学習と身体訓練のため,一時的にではあるが,トルコ人農民に売却され,必要に応じて軍団に引き取られた。イェニチェリは,彼らのなかから生まれた。