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●ディオニシオス1世 ディオニシオスいっせい

AD430 

 前430ころ〜前367 ミケーネ(現シチリア)島のシュラクサ(現シラクザ)の僣主ヘルモクラテスの娘を娶り,前406年に歴史家のフィリストスに支持されて将軍となったのち,他の将軍たちを排除して親衛隊をつくり,毎年全権将軍に選ばれて僣主となった。彼の政治目的は,明らかにシケリアからカルタゴ人を駆逐することであったが,敗北したときに富裕者層の支持を失った。彼は権力強化のために,カルタゴと不利な条約を締結してオルテュギアを拠点とし,政敵の財産を外国人や解放奴隷に分配した。彼の権力基盤は傭兵であり,シケリア東岸のナクソスを占領し,傭兵をカタナ(現カタニア)に植民させ,レオンティノイ(カタナとシュラクサの間)の市民をシュラクサに移住させ,大艦隊と大量の武器をつくって,カルタゴ人を駆逐しようとした(前398年)。シケリア西岸のモテュアを占領したが,前397年,カルタゴからのヒミルコンの到着によって形勢は逆転し,疫病とスパルタの支援によって解除されるまで,シュラクサを包囲された。前392年にはカルタゴが改めて攻撃してきたが,ディオニシオスはこれを撃退して,“シケリア王”を自称した。彼の野心は南イタリアに及びレギオン・クロトンを占領し,さらにアドリア海に勢力を拡大した。彼はまた,アテナイの海軍力やテバイに対してスパルタを支援し,前387年にはスパルタに20隻の艦隊を援軍として派遣し,前386年のアンタルキダスの和約をアテナイに受諾させる一因をつくった。前367年,カルタゴとの戦いで彼は没した。プラトンを宮廷に招いたこともあったが,彼との交友には失敗した。自らは悲劇『ヘクトルの身代金』をつくって賞を得たが,駄作といわれる。彼の政治的功績は,バルバイロに対する西方ギリシアの防衛として評価されている。