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庭園 ていえん
【中世の中庭式整形庭園の発展】中世における庭園の歴史は、キリスト教国の修道院庭園と、イスラーム教国の三種のサラセン式庭園に代表される。
(1)修道院庭園:最初は果樹・薬草・野菜などの実用園としての性格が強かったが、その後、装飾的な中庭式の回廊式庭園へと変わっていった。回廊式庭園は、古代ローマのペリスティリウムと同じような中庭=クラストルウムで、前廊をもつ四方の建物によって囲まれている。ペリスティリウムと同様に柱廊の壁面には壁画が描かれ、庭園の構成は単純で、2本の直交する園路によって正方形か長方形の平面に区画された。園内は交差する所に樹を植えたり、噴水・水盤・井戸などの水の施設が設置されている。特筆すべき点は少ないが、ペリスティリウムの場合は、柱が床に直接立っているのに対し、クラストリウムの場合は、胸壁の上に柱が立てられているため、四辺の中央部からしか出入りできないのが特徴となっている。
修道院庭園はイタリアを中心に発達したが、フランスやイギリスでは騎士たちの城郭庭園がつくられていた。初期の城郭には庭園は見られず、13世紀頃から戦乱も治まり封建領主などの城館庭園として、城壁に囲まれた方形の庭に、花木を多く取り入れた整形式の庭園がつくられた。15世紀末頃からは、しだいに規模も大きくなり城の外側にも庭園が拡大していった。
(2)イスラーム教国の庭園:サラセン人によって、征服した国々の文化と融合させながらつくられたものである。第1にペルシア-サラセン式庭園は、7世紀初めペルシアを征服した時につくられたが、この庭園は英語で天国を意味するパラダイスの語源となったパルデスというペルシアの大庭園とイスラーム教徒の天国〈喜びの楽園〉が融合したものである。
小さな庭園では長方形の庭が、直交する園路で四分され、園路に沿ってカナール(水路)があり、交差点には浅い池や園亭を設置している。一方大きな庭園では、小庭園がいくつも連らなるようにつくられ、傾斜地では露壇と露壇とが階段で連結されている。
第2のスペイン-サラセン式庭園は、7世紀末スペインを征服した時につくられたが、その代表的なものはスペインのグラナダのアルハンブラ宮・ヘネラリーフェの離宮とセビリアのアルカサールである。スペイン-サラセン式の特徴は、すべてパティオと呼ばれる中庭式の庭園であり、雨量が少なく乾燥し、熱い日ざしの気候と外敵を防ぐことが理由となって発達した。パティオは柱廊や壁で囲まれ、柱や床はモザイクの装飾文様で飾られ、庭の中央には噴水や泉を置き、あふれた水はカナールを通って樹木に灌水されたり、他の池泉に注がれている。
第3にインド−サラセン式庭園は、10世紀インドに侵入したサラセン人が、従来のインド文化と融合してつくられた。代表的なものには、ムガール帝国の4代、ジャハーン=ギル時代にカシミールのダール湖の近くにある夏期の別荘、ニシャト=バーとシャリマール=バーの庭園がある。5代シャー=ジャハーン時代の庭園には、ラホールのシャリマール=バーとアグラのタージ=マハールの庭園がよく知られている。
インド-サラセン式の特徴は、イスラーム教国の庭園と同様、水と緑による楽園をつくることにあり、意匠は四周を城壁などで囲み、直線を用いた整形式であった。タージ=マハールとカシミールのシャリマール=バーは平坦園で十字形のカナルが庭園を分け、中央には噴水池があり、周囲には模様的な植栽がされている。ニシャト=バーとラホールのシャリマール=バーはいくつかの露壇園から成り、各壇の中央にはキオスクや噴水が置かれ、周囲には豊かな緑陰樹が配されている。
【近世の整形式庭園】ルネサンス=文芸復興は、イタリアの都市国家が隆盛をみた15世紀に象徴され、その庭園文化は、ビラのテラスガーデンを中心に名園がつくられた。17世紀には、フランスのアンドレ=ル=ノートルが伝統的な整形式庭園を、平坦で緑豊かな特性を十分生かした大庭園を完成させた。そして、ルネサンス様式に対し、バロック様式の感覚的な庭園がつくられたが、この華美で技巧的な庭園に対立する形で、自然の風景を重視した自然風景式庭園がイギリスに発生し、18世紀末には欧米諸国に影響が及んだ。このイギリス式庭園の誕生には、世界的な文化交流の盛んな中で、東方世界の影響が大きかったことは明白である。
(1)イタリア露壇式庭園:中世までは庭園が王侯貴族のものであったのに対して、14世紀頃からフィレンツェを中心として、富豪メディチ家によって一段と展開を見た。フィレンツェ近郊の別荘には、種類が豊富な田園趣味を感じさせる美しい庭園がつくられた。例としては、メディチ家のコレッジョ荘、フィエーゾレのメディチ荘、ボッジオ=ア=カイアーノ荘がある。
ローマでは、16世紀教皇ユリウス2世が、ドナト=ブラマンテにバチカン宮殿のベルベデーレの露壇式庭園(イタリア式庭園)をつくった。イタリア露壇式庭園の例は数多くあり、フィレンツェのカステロ荘、ボボリ園、ティヴォリのエステ荘、バーニャイアのランテ荘、ビテルボのオルシニ荘などが著名である。
庭園構成は建築的な構造で、地形変化に従って露壇をつくり、建築の軸線が全体を支配し、この軸線に直交する園路でシンメトリカルに分割されている。露壇と露壇は階段や斜路で結ばれ、交差点や終点には彫刻・池泉などが配され、軸線上には花壇や園亭が設置されている。樹木は常緑樹が好まれ、サイプレスやストーンパインが数多く用いられた。
16世紀末期になると、露壇式庭園にもバロック趣味のものがつくられた。精巧な細部、不統一な意匠や過剰な装飾が特徴となってきた。曲線が好まれグロテスクな庭園・洞窟・彫刻、複雑な形の刈込み樹木がつくられた。例としては、アルドブランティ荘とイゾベラ荘が有名である。
(2)フランス平面幾何学式庭園:16世紀イタリアからルネサンス運動が伝わり、庭園文化においては、当初模倣から始まり城館の刺繍花壇を持つ庭園がつくられた。例としては、シュノンソウのメディチ花園が有名である。
アンドレ=ル=ノートルが現れると、フランス式庭園が確立され、ル=ノートル式と呼ばれる様式が完成した。彼のつくったヴォー=ル=ヴィコントの庭は、整形式の名庭としてルイ14世を感動させ、ベルサイユ宮苑を造成するに至った、イタリアの立体的露壇式・整形庭園に対し、フランス式庭園は、平坦な土地に幾何学的・平面図案式の整形庭園であるが、特徴とされるのは、整形式意匠に視軸をより強調した、人工的な造園としては非常に規模が大きいことである。このフランス式庭園はヨーロッパ諸国に伝えられ、オーストリアのベルベデーレ宮苑、スペインのラ=グランハの宮苑を始め、ドイツ、デンマーク、ロシアで宮殿の庭園としてつくられた。
【近世の自然風景式庭園】自然風景式庭園は、18世紀にイギリスを中心に各国に広がったが、それは自然賛美の思潮に動かされ、人工的な整形式庭園に対立して発生したものである。また、フランス式庭園は古代の中庭からつながる、樹林に囲まれた装飾庭園であるのに対して、イギリス式庭園は囲いを取り払い、樹林の間の美しい風景を基本とした庭園であり、美しい風景にめぐまれた自然環境の中で生まれたものである。意匠の面では直線をきらい、曲線的な造形に重点を置いている。ベーコンやミルトンらによって、自然的な庭園思想が唱えられ、ブリジマンやケントらによって、初めは牧歌的な風景を模倣した庭園であったが、ブラウンによって写実主義の傾向は頂点となった。しかしそれらを単調すぎるとするレプトンを中心とするブラウン派とチェンバーズを中心とする絵画派が台頭した。レプトンは、自然美や実用をも庭園の基準とすべきことを主張し、チェンバーズは、中国庭園に触れ、庭園の中で建物を絵画的な美しさとして設置することを主張した。
フランスではルソーの自然復帰の思想やイギリスの影響により、フランス風庭園(イギリス・中国風庭園)がつくられた。ドイツでもゲーテ、カント、シラーらの詩人や哲学者、森林美学者ヒルシュフェルトらによって影響され、半整形的な自然風景式庭園がつくられた。その後、自然風景式庭園は古典派・浪曼派・新古典派の庭園も流行したが、しだいに陳腐化の傾向を強めた。
自然風景式の例としては、ブラウンのハンプトン=コートやウインザー宮苑、イギリスに現存する代表的なロンドンの西のキュー王立植物園があり、フランスではプティトリアノンの庭がある。
【近代の庭園】19世紀には社会情勢もしだいに変化し、貴族や富豪などの私的な大庭園から、公共的な庭園としての公園へと移行していった。イギリスでは共有地(コマン)や緑地(グリーン)が公有されていたこと、王室所有の狩猟苑が park の語源であることもあり、各地で私的な庭園の公開や公園化が行われた。事例としては、ロンドンの王室の狩猟場であったハイド=パーク、セントジェームス=パーク、リージェント=パークがある。
このような私的な庭園の公園化から、産業革命による都市環境の悪化の影響もあり、計画的に都市公園をつくる運動がおこり、1940年代には公園に関する法律がつくられることになった。イギリスではもちろん、フランス・ドイツ・アメリカでもその傾向が強くなり、とくにアメリカ合衆国では、当初公共墓地に自然風景式庭園の様式が利用されたが、フレデリック=ロー=オルムステッドがセントラル・パークを成功すると、19世紀末にはほとんどすべての都市が公園を持つようになった。
一方、庶民階級では中小庭園への関心が高まり、自然風景式のような大面積を要するものより、整形式のように小面積でも可能な庭園が各国でつくられるようになった。それは、〈戸外の室〉として実用的に利用し、生活の場として庭を利用することである。
〔参考文献〕岡崎文彬『ヨーロッパの造園』1969、鹿島出版会
佐藤昌『欧米公園緑地発達史』1968、都市計画研究所
岡崎文彬編『造園事典』1976、養賢堂
日本造園学会編『造園ハンドブック』1979、技報堂出版
ポール・ズッカー『都市と広場』1975、鹿島出版会
針ケ谷鐘吉『西洋造園史』1956、東京彰国社
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