●ティエール
ヨーロッパ フランス共和国 AD1797 第一共和政
1797〜1877 フランスの政治家・歴史家。マルセイユの生まれ。父は冒険家。エックス=アン=プロヴァンス大学法学部に学び,弁護士となる。1821年パリに出て,ラ=ロッシュフーコー=リアンクール公の秘書をしばらく務め,「立憲派」に寄稿してジャーナリスト生活に入る。『フランス革命史』(1823〜27)は復古王朝政府に対する挑戦の書であった。七月革命の半年前から「ナショナル」紙を発刊し,シャルル10世・ポリニャック政府を批判。七月革命でルイ=フィリップとラフィットなどを結び合わせ,ラフィット内閣で財務次官,カジミール=ペリエ内閣では内務大臣にもなった。正統王朝派と共和派の反乱には峻厳な対処をしたが,1836年,下院議長としてスペイン問題で,1840年には外務大臣としてエジプト援助で国王と対立し,辞職した。議員としては反ギゾーの中道左派を貫き,第二共和政で秩序党の領袖として活躍。1850年の早くからルイ=ナポレオン大統領の権力集中に警鐘をはなっていた。翌年12月のクーデタでフランスを追放され,翌年帰国を許されてからは『統領政と帝政の歴史』(1854〜62)を完成。1863年,パリから議員に選ばれてからは自由帝制派として活動し,皇帝の危険な戦争政策に反対した。普仏戦争の敗北で帝制が崩壊すると仮政府代表として講和に努力。1871年,ボルドーで臨時政府行政長官となり,パリ=コミューンの運動を鎮圧。同年8月,第三共和政初代大統領に選ばれる。対ドイツ賠償支払・財政再建・軍制改革などで成果をあげたが,1873年王党派連合の攻撃を受け辞職に追いやられる。その後,ガンベッタと結び反攻に転じ,1877年の共和派大勝の選挙の直前に死去した。
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