50音順    検 索

●対馬事件 つしまじけん

NIS諸国 ロシア連邦 AD1861 ロシア帝国

 幕末,ロシア軍艦の対馬占領事件。1861年(文久1)2月ロシア軍艦のポサドニック号が対馬付近を測量し,3月芋崎浦に停泊,船体修理を名目として永住施設を建設しはじめた。対馬藩の抗議に対し艦長ビリレフは,設営資材・食糧・遊女を要求,芋崎付近の永久租借権とロシア軍による警備権をも要求した。土地を侵された島民は激しく抵抗したが,藩の上層部や5月に幕府から派遣された外国奉行小栗忠順らはロシアの武力を恐れ事を穏便に済まそうとして,島民の抵抗を押さえる一方,艦長と交渉するとともにイギリスに折衝を依頼した。7月イギリス公使オールコックが2隻の軍艦を派遣して退去を強硬に迫り,8月ポサドニック号が退去,事件は落着した。これは,日本海と東シナ海を結ぶ対馬の軍事的拠点としての価値の高まりのなか,イギリス・フランスの共同基地計画の動きを察知したロシアが先手を打ち軍事基地化しようとした事件である。島民の勇敢な抵抗と,国際関係の均衡状態がロシアの単独占領を阻んだといえる。