●付き合い つきあい
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他人との交際・まじわり。あるいは交際上の義理立てのことをいう。そこから他人と交際するのに必要な心得という意味合いも強まり,場合によっては自分の都合や信条を曲げてでも他人と行動を共にする態度を意味することも多い。〈付き合いを知らねえ〉(式亭三馬『浮世風呂』)などというのがそれである。こうした他人との交際に関する暗黙の規則が,古い社会のなかでは人々が共存していくために不可欠であり,ときには生命にもかかわる重要な意義を担っていた。付き合いは集団内における相互の利害関係を確認する手がかりであり,それと同時に潤滑油として共同体の運営をすみやかにすすめる役割も果たしているのである。東北から北陸にかけて用いられるクガイということばが付き合いに該当するが,九戸地方になるとミスギというもう少し薄い関係を表すことばもあり,ミスギクガイと連用して使う場合もある。ジンギということばも新潟県などで付き合いと同義に用いられ,仁義とか辞儀などの字をあてると考えられている。熊本県のジンギコーギ,また高知県のツトメという表現も同じ意味をもつもののようである。これらはいわゆる義理付き合いにあたることばだが,ここから付き合いという人間関係の約束事に大きな意義を認めようとする発想が,広く日本全土にわたるものであるとわかる。近代以前には,付き合いの範囲はその人の住む村に限定されていた。つまり村付き合いが最も一般的な付き合いの形式であったのである。そのなかで一層深い付き合いをするグループが職業・年齢・階級・宗教などによって区分され,さらに隣り近所といった距離関係によっても親密度が変化する。岐阜県の山村に見られる隣人どうしの親密な付き合いはヤマツレと呼ばれるが,ここには職業上の付き合いも強く反映されている。同じ年齢階層による特殊な付き合いとしては,まず若者組や娘組をあげることができる。とくに緊密な同年輩の友人関係を表すことばには風変わりなものが多く,その親密度の高さを証拠立てている。九州のドシ,カテリ,四国や中国地方のトギ,東北地方のドヤク,ケヤグ,あるいはほかにも,兄弟グルワ,ハダカ友達,ヘコカエ,エリモト付き合いなどがある。お伊勢参りや上方見物を一緒にした者どうしの付き合いもあり,上り兄弟,上方友達などといい,善光寺参りを共にするとオヤマツレと呼ばれる場合もある。村の外との付き合いには,婚姻・血縁による親類との交際などが多い。特殊な例としては,漁師や行商人が仕事先で宿を借りる家と結ぶまじわりがある。三宅島ではそれをヤドと呼び,屋久島ではイトコと呼ぶが,ときには兄弟の名乗りをして親戚以上の付き合いに発展することもある。しかし一般には村の外はまったく未知の世界であり,付き合いのない他人が到来してきてもヨソモン,タビノモノとして警戒され,差別や追放の対象とさえなっている。縁故関係によって村の外から来て住みつくこともできないわけではないが,身元を引き受ける村人やその他の多くの条件を満たさねばならず,付き合いに加わることは困難だった。それだけに村の内部での付き合いにはたいへん重要な意味があったのである。付き合いの最も簡単な表現は挨拶だが,これにもさまざまなレベルがある。路上で出会ったとき,家を訪問したとき,贈答を行うときなど,そのときと場合によって挨拶はいくつにも使い分けられ,付き合いの程度によっても表現に違いが出てくる。地方によっておおむね決まった型があり,挨拶のしかたを見れば,その人が村のなかでどのような付き合いをもっているのか,さらには職業や身分までもわかることさえある。付き合いのときの態度は絶えず人々に注目され,それを評価する表現も数多い。村における接触面の円滑さを欠くような場合には〈付き合いにくい〉とか〈付き合いが悪い〉と揶揄されることになる。しかし村の封鎖性が破られつつある今日,しだいに付き合いは煩わしい風習として敬遠されはじめているのが現状であろう。