●策妄阿拉布坦 ツェワン=アラプタン
AD1697
1697〜1727 オイラートのジュンガル部長,ジュンガル部第5代のハン。第3代センゲの長男として生まれ,第4代ガルダンは叔父にあたる。1697年ガルダンの死後ジュンガルの部長となり,内陸アジアに勢力を伸ばし,1698年にはカザフを破り,バルハシ湖方面を支配下においた。1713年にはカシュガルのホージャ=アフマドをイリに幽閉した。1717年にチベットのラサに侵入し,これを支配下に置いたが,1720年(康煕59)清軍によってチベットから追い出され,ハミ地方に侵入したが,清軍に阻止され,1725年(雍正3)清と休戦した。当時ロシアはその東進政策によりシベリアに軍を入れていたが,1715年トボルスクからジュンガルに南進をはかった遠征軍を撃退し,1720年の第2次遠征軍をザイサン=ノールで撃退した。以後ロシアとは平和が保たれた。ロシアとの2回の戦いの際捕えた捕虜達のなかに,ジュンガルに砲術を教え,種々の手工業を指導する兵士達がおり,このためジュンガルの工業・商業が栄えた。