●塚 つか
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もともとは土を盛り上げて小高くなった所をいう。語源は「ツイキ(築城)」の移転(『大言海』),「ツク(築く)」の義(『滑稽雑談所引和訓義解』『和訓栞』),「タカ(高)」の転,「ツキアゲ(築土)」の意味(「名言通」),「ツカ(積処)」の義(「和句解」)等諸説があるが,「ツク(築く)」の義と解する説,もしくはこれに類する「つきあげ(築土)」「ツカ(積処)」等の意に解釈する説が有力。この語源からもうかがえるように,一般的には人工的に小高く盛り上げた岩石の堆積をいうが,ときには自然の岩石の堆積をさす場合もある。また,土を盛り上げてつくった蟻・鼠などの巣をいう場合もある。ほかに,「一里塚」とか「三里塚」のように,目印などとして用いることも多い。「一里塚」は江戸幕府によってつくられたものが多いが,地方によってはそれ以前から築かれていたものもある。村の境界として造築された「境塚」も全国各地に散在するが,これらの塚は,必ずしも実用本位ではなく,その上に樹木を植え神を祭っている例も見うけられる。塚は,それが人工的に土や岩石を盛り上げてつくったものであるところから,転じて土墳,あるいは一般に墓をさすことが最も多い。これは西洋でも同様で,英語で塚を示すマウンドやチューミラスも墓をさすのに用いられている。北ヨーロッパなどに見られる小山のような墳丘や,俗に銚子塚・車塚・ひさご塚などと呼ばれるわが国独得の前方後円墳に見られるように,世界各地で,死体埋葬地の上に土や岩石で封土を築くことは新石器時代以来行われてきた。しかしそれだけではなく,物・距離の標識,記念,祭壇や防護手段として設けられたものなど諸民族のあいだにはさまざまの塚が見られる。廃棄物の堆積からなる塚も多く,このうち貝塚は全世界に分布を見ることができる。これら諸民族の塚のうち,とくに有名なのがアメリカ=インディアンの祖である塚築造民族マウンド=ビュイルダースの遺跡で,北アメリカの広大な地域に点在している。ことにミシシッピ川流域やオハイオ州には,円形・円錐形・四辺形・八辺形・動物の形状など,大小さまざまの形をした多数の塚がある。防護用,墓や祭壇と用途もさまざまで,動物形状のものはトーテミズムとの関連が想像される。
わが国にも多くの塚があり,用途も多いが,年代的に最も古いものは,縄文時代の海岸線に存在する貝塚で,次に古いものに古墳の塚がある。円塚・王塚・大塚・車塚・古塚・二子塚・丸塚などの地名は,おおむね古墳の所在を示している。貝塚・古墳はいうまでもなく仏教渡来以前のものであるが,仏教渡来後は経塚というものも各地でつくられた。経文を紙筒に入れて埋めたもので仏教の信仰にもとづいており,鎌倉時代以降のものが大半である。
塚のなかには何も埋めてないものも多数見うけられるが,この場合はおおむね神をまつる祭壇として築かれたものである。平坦地・平野部において聖域をつくるには,塚をつくるのが最も一般的な方法と考えられたのである。キツネが田の神の使者であるという信仰から発して狐塚がつくられたのなどはその一例である。八幡塚・天神塚・庚申塚などは,いずれもそういう神仏の祭壇として築造されたのである。梵天塚・山伏塚・行人塚などは修験道の信仰から発しているが,関東地方では出羽三山参りの同行者が記念に塚を築くという風習もあった。
慰霊供養のためにつくられる塚も各地に散在している。千人塚は災害地・戦地・刑場あとなどに供養のためにつくられたものである。
塚にまつわる伝説も多い。死体を分割して葬ったという将門の首塚などは北関東各地に点在しているが,主人と12人の従者を葬ったという十三人塚や七人塚なども各地に伝承されている。このほか,牛塚のような特殊な塚も知られているところである。
〔参考文献〕斎藤忠『日本古代社会の葬制』1947,高桐書院