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●通信 つうしん

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 通信とは情報を伝達することで,郵便と電気通信に大別される。通信の歴史は,情報を遠くかつ速く伝達する手段の開発の歴史であった。原初的なものとしては,のろし・太鼓・手旗が用いられたが,これらの手段は有視覚距離や音声の伝達距離に限りがあり,同時刻に送信者と受信者の存在が前提となっており,複雑な情報を伝達できなかった。文字の発明によって,複雑な情報を空間と時間を超えて伝達することが可能になった。電信・電話などの電気通信の発明は,通信の距離を飛躍的に拡大し,コンピュータ技術の発展により,情報を蓄積し,処理することも可能となり,通信が情報処理という概念と近接してきた。1981年11月の第36回国連大会において,1983年を世界コミュニケーション年とすることが決議され,世界各国で「通信のインフラストラクチャーの発展」をテーマに,さまざまな事業が行われた。

【郵便】郵便制度の始まりは,古代ペルシアにおいて一定の距離に馬を置いた宿泊所を設けて,継走によって手紙を運んだ駅制であったといわれている。日本では大化改新の際,畿内各国に駅馬・伝馬を置いたのが最初とされている。近代郵便制度は1871年(明治4)に東京・大阪間で開始された。国際間の郵便の迅速化をはかるため,万国郵便連合(UPU)が創設され,国連の専門機関となっている。郵便の送達速度は輸送機関の能力に依存しているので,電気通信に比べると情報伝達は地理的・物理的制約を受けるが,現物を送付できるという特徴がある。郵便は内国郵便と外国郵便に分かれ,内国郵便は通常郵便物と小包郵便物に二分される。通常郵便物は,第1種から第4種に分かれている。(1)第1種は手紙・書状で,形状と重量で定形郵便物と定形外郵便物に区別される。(2)第2種は葉書で,機械処理が可能なため,定形郵便物とともに送達速度も速く料金も割安となっている。(3)第3種は,定期的に発行されている郵政大臣の認可を受けた定期刊行物である。(4)第4種は通信教育用教材,盲人用点字,農産種苗・食料標本・学術刊行物である。第3種と第4種は料金が割安となっており,盲人用は無料となっている。1983年の郵便数は161億通で,郵便局は全国に約2万3,000局ある。郵便料金前納証で,郵政省のみが発行権を有する郵便切手を収集し研究することをフィラテリーと呼ぶが,切手収集は趣味として全世界的に普及している。

【電気通信】1837年モールスによって考案されたモールス信号によって電機通信の実用化がはかられた。1869年(明治2),東京・横浜間で電信業務が開始された。1876年,ベルによって発明された電話は,わが国に1877年2台輸入され,1890年(明治23)に電話事業が開始された。1885年,マルコニーによって無線電信が発明され,地理的条件に規制されない通信が可能となった。1865年に設置された「万国電信連合」と1906年に設置された「国際無線電信連合」は1932年に合併して「国際電気通信連合(ITU)」となり,1947年国連の専門機関となった。1885年(明治18)に逓信省が設けられ,通信の管轄を行ってきたが,第二次世界大戦中,鉄道省と合併し運輸通信省となった。1945年5月同省は運輸省と改められた。戦火によって電報局の52%・回線の75%を失い,電話局の3分の1が廃墟と化した。1946年6月,戦争で荒廃した通信設備の復旧をはかるため逓信省が復活した。1948年,連合軍司令長官マッカッサー元帥が電気通信と郵便事業の分割を指示し,1949年に逓信省が解体し,郵政省と電気通信省が分離し,1952年電気通信省が廃止され,公共事業体としての日本電信電話公社(電電公社)が発足した。1953年,国際電気通信事業は電電公社から分離して,国際電信電話株式会社(KDD)がいとなむことになった。電信・電話事業サービスの公共性,二重投資の回避,技術・運用の統一の点から,電電公社が電気通信事業を独占的に行った。公社は,「すぐつく(積滞解消)」「どこへでもすぐつながる(全国自動即時化)」の二大目標を立てて,数次にわたる5カ年計画をつくり,1977年度と1978年度に二大目標をほぼ達成した。技術革新の進展により,サービスの多元化・民間企業の通信分野への導入機運,既存の電気通信事業と競合する分野の出現によって,電気通信事業の電電公社の独占の弊害や競争原理の導入の必要性が指摘されるようになってきた。アメリカにおいても電話事業をほぼ独占していたアメリカ電信電話会社(AT&T)が分割され,日本電信電話株式会社法・電気通信事業法および整備法が1984年12月20日国会で可決成立し,それにより1985年4月1日,電電公社も民営化され,日本電信電話株式会社に変わり,新発足した。1983年の電話加入数は4,288万台で,ダイヤル通話の総通話回数は510億回であった。電報の利用は慶弔電報が大半を占め,利用率も漸減傾向にある。非電話系サービスについては,日本では,漢字入力の問題と電電公社が電話回線に電話以外の端末を接続することを規制していたため,電子郵便としてテレックスやコンピュータ通信よりも,原稿をそのまま送るファクシミリが普及した。農林漁業地域の通信手段として有線放送電話も利用されている。通信衛星を利用して国際通信を行うための国際機関である国際電気通信衛星機構(インテルサット)と,通信衛星を利用して船舶と地上間,または船舶相互の通信を行うための国際海事衛星機構(インマルサット)が設立された。

【ニュー・メディア】情報化社会を成立させるものは,大量の情報を正確に遠くまで伝えることのできる電機通信と,大量の情報を蓄積・検索できるコンピュータである。フランスでは電気通信とコンピュータの融合によって生ずる高度情報化のことを電気通信と情報処理を合成して,テレマティークと呼んでいる。日本では,1980年代に入って新しいメディアの相次ぐ実用化によって,「ニュー・メディア」ブームが起こった。1984年は「ニュー・メディア元年」と呼ばれた。1983年2月4日,日本初の実用通信衛星 CS-2a(打上げ後,さくら2号と命名)が種子島から打ち上げられ,2月24日に東経132度の軌道に静止した。放送関連では,1983年に文字多重放送,1984年世界初の衛星放送が開始された。1979年12月から実験サービスを行っているわが国独自のビデオテックスであるキャプテンシステム(CAPTAIN 文字図形情報ネットワーク)の商用化サービスが,1984年11月30日に開始された。海外の実用化されたビデオテックスには,イギリスのプレステル,ドイツのビルトシルムテキスト,カナダのテリドンなどがある。1984年9月28日より1987年3月末まで東京の三鷹地区で実験を行う INS高度情報通信システム)は,世界各国で検討がすすめられているISDN(デジタル総合サービス網)化の動きに沿ったものである。INSの根幹は,大容量の情報を伝達できる光ファイバー・ネットワークで,テレビ会議,VRS(ビデオ・リスポンス・システム)・セキュリティーなどの各種サービスの実験を行っている。光通信によって,VRSの動画サービスのように,通信は放送に近いサービスを行うことも可能になった。また奈良県東生駒で行っている Hi−OVIS実験の完全双方向 CATV のように放送も通信に近いサービスを行うことが可能であるため,通信と放送と区分があいまいになってきている。情報処理機能を付加し,高度なサービスを行う通信網を付加価値通信網(VAN)と呼ぶが,アメリカでは,テレネット社とタイムネット社がパケット交換によるデータ通信サービスを,グラフネット社がファクシミリ通信と記録メッセージ通信のサービスを行っている。パーソナル・コンピュータで文章を送受信するコンピュータ通信は電子郵便の一つで,1970年代からアメリカでは実用化されている。電気通信の自由化に伴い,日本でも開始されることが予想されている。パソコンとモデムの電子郵便には,(1)オンラインで同時に文章のやりとりができるチャット,(2)文章をホストのコンピュータに溜めておいて引き出すメールボックス,(3)不特定多数の加入者に文章を提示するブルティンボードの各機能がある。電電公社は電話回線に受話器以外のものを接続することを制限していたが,日本電信電話株式会社の新発足に伴い電話線が解放され,さまざまな端末が接続できると予測されている。各種サービスごとに端末が開発されているため,各種サービスを受けるには複数の端末が必要となるが,将来的には各種の端末はパーソナル・コンピュータに統合されていくものと考えられている。電気通信の発達は,在宅勤務,在宅学習,在宅医療,ホーム・ショッピング,ホーム・バンキングなどを可能にした。そのための個人住居をエレクトロニック・コテッジと呼び,職住近接を目的とした職場をサテライト・オフィスと呼ぶ。新しいコミュニケーション技術を使用して地域開発を行う計画が持ち上がっており,郵政省ではテレトピア構想,通産省ではニューメディア・コミュニティ構想を推進している。

〔参考文献〕北原安定『電気通信革命』1981,日本経済新聞社