●追捕使 ついぶし
アジア 日本 AD
日本古代の警察的官職。律令に規定をもたない令外官。初めて史料上に見えるのは932年(承平2)で,平将門,藤原純友の乱の直前のことである。瀬戸内海地方に出没する海賊を鎮圧するために設置されており,東海道・東山道のような主要幹線道といった広範囲の追捕を担当した。「追捕」ということばは「追い捕える」ということで,本来は軍事的な内容を含んでいないが,実際には直接に戦闘にあたる場合が多かった。初めは臨時の官であったが,やがて各国々に常置されるようになり,一国内での警察的職務を分担するようになる。この場合,国司の兼務するものと現地の豪族を任命するものと二つのタイプがあった。さらには荘園内にも置かれるようになり,12世紀の末には惣追捕使という一国内の軍事・警察的職務にたずさわる官職が出現した。追捕使の主たる仕事はこれに受け継がれ,さらに鎌倉幕府の惣追捕使=守護へと発展していく。