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●賃租 ちんそ

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 日本の律令体制下では,田を支配する者が1年を限って他人をそこで農耕させ,価直を取ることを“賃租”と称することがあった。価直は稲が一般的だったといわれる。『令義解』には,諸国の公田を国司が〈郷土の估価(こか)〉にしたがって賃租することを規定した条文が収められ,〈春時に直を取るは賃と為す〉〈人に与へて佃らしめ,秋に至りて稲を輸すは租と為す〉という解釈が付されている。諸国公田賃租の価は太政官に送られたが,延喜式によれば,陰陽寮勧学田大学寮田等の諸司田でも賃租が行われている。『令義解』には,〈凡そ田賃租せむことは各一年に限れ。園は任に賃租し,及び売れ〉という条文も収められている。これらが賃租という説が用いられた事例である。『令集解』に収められた賃租関係の田令に関する諸説では,田を“売る・買う”という語が用いられているので,賃租は当時1年を限る田等の“売買”とも表現されたとみなせば,口分田等でも賃租は行われたことになる。『令集解』には“売買”された口分田が“氷旱虫霜”にあったときの調庸減免に関する諸説も収められ,また,“賃田”“租田”という語も用いられている。しかし,“功田”に関して〈賃租及び売買〉というように両者を並列させた用語もあるから,“賃租”と1年を限る田の“売買”とを直ちに同意とみなすのは困難である。『令義解』はまた,公田賃租の条で賃・租それぞれの意味を記したあと,〈今謂う所の地子は是〉だともみなしているが,地子は公田賃租のように〈郷土の估価〉にしたがって収取されたのではないことを示すといわれる記録もある。官田に関する881年(元慶5)の太政官符に,価直の数は国例に依るのに対し,地子の収取規準は式文に定められているとあるのが,その一例である。“賃租”という意味は,田の“売買”や“地子”との関係についてすら,現在明確にされているとはいいがたい。