●陳子昂 ちんすごう
アジア 中華人民共和国 AD661 唐
661〜702 字は伯玉,梓州射洪(四川省)の人である。代々富豪で,自身も侠気を負って博徒と交わり,十七,八歳まで書を知らなかった。その後,己の無学を反省して,同地の金華山に籠って刻苦勉励し,開耀二年(682)進士に及第した。(一院に文明元年(684)とする。)則天武后に認められ,麟臺正字となり,後しばしば上書したが入れられず,右拾遺を拝してから,建安正武攸宜の契丹倒伐に参謀として参与,有名な〈薊丘覧古〉七首をつくった。聖暦初年父の老いたのを理由に辞職,郷里に帰るが,貪欲な当地の県令段簡に陥れられ,財産を奪われた上に獄死させられた。その背景には権臣武三思の力が働いていたと思われる。詩人としての彼は,若い頃〈感遇〉三十八首によって,一世を風靡し,斉・梁の華美な詩風を継ぐ初唐期において,漢・魏の剛健な精神を甦らせ,盛唐への道を拓く先駆者となった。現在,『陳伯玉文集』十巻と,より完備した中華書局刊(1960)の『陳子昂集』一冊がある。