●鎮西奉行 ちんぜいぶぎょう
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鎮西守護ともいう。鎌倉幕府の職名。1185年(文治1),源頼朝が天野遠景(あまのとうかげ)をこの職に任じて,鎮西(九州)の御家人の指揮統制にあたらせたのが始まり。平家の残党・源義経一党らの追捕(ついぶ)がもともとの任務であったが,その後全九州の御家人の統轄にあたるようになり,太宰府の機能も継承した。頼朝は,1180年(治承4)に鎌倉に侍所を置き御家人を統制し,さらに1185年には,義経の追捕を理由に,各国へ守護(軍事・警察など)・地頭(荘園・公領の管理など)を設置し,全国の支配権を確立した。とくに京都守護には京都の治安と朝廷の監視にあたらせ,九州には鎮西奉行,奥州には奥州総奉行を設置して武家政治の基礎を確立した。遠景の後は中原親能(なかはらちかよし)・武藤頼資(むとうよりすけ)が継いだ。しかし九州諸国に守護,さらに鎮西探題が置かれるようになり,その機能・権限は著しく低下した。