●鎮西探題 ちんぜいたんだい
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鎌倉〜室町期に,九州統制のために設置された職名。鎌倉幕府は,九州にはじめ鎮西奉行を置いて,平家残党の追捕と鎮西御家人の統率を期した。『吾妻鏡』1186年(文治2)12月10日条に〈藤原遠景,鎮西九国奉行人となる。また所々の地頭職等を給はる〉とある。文永・弘安の役後,鎮西奉行は鎮西探題に展開をみたと考えられる。『歴代鎮西要略』(3,『古事類苑』官位部2)は〈永仁元(1293)年癸巳,北条越後守兼時,鎮西探題に任じて,筑前姪浜に下る。これ探題の始めなり〉と,その起源を記す。本拠を博多に置き奉行以来の御家人の統率のほかに,軍事指揮や一般政務・訴訟も行った。探題は北条一門のなかから選任され,その下に評定衆や引付衆があった。1333年(元弘3),幕府の滅亡とともに少弐・大友氏らに攻められ滅ぶ。室町幕府は,鎮西探題にならって九州探題を置いた。これを鎮西探題とも呼んだ。15世紀に,渋川氏がその職を世襲した。