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●陳紹禹 ちんしょうう

アジア 中華人民共和国 AD1907 清

 1907〜1974 中国共産党初期の指導者で,国際派人物。安徽省出身。王明は別名。共産主義運動にかかわったのは武昌大学在学中に青年共産同盟に加入してから,1925年にはモスクワの中山大学に留学し,コミンテルン代表ミフの中国行に通訳として同道,再びモスクワに帰ってから秦邦憲とともに中国共産党モスクワ支部を指導する。当時実情にあわない大都市攻略を方針とした李丘三コースを批判し,帰国後の1931年総書記となり指導的地位につく。1932年にはコミンテルン代表としてモスクワへ。1935年遵義会議で影響力を失うとの説もあるが,八・一宣言はコミンテルンの反ファシズム統一戦線の方針により陳紹禹が出させたとの説が有力,共産党が反蒋抗日から逼蒋抗日へと転換し抗日民族統一戦線結成へと向かったのには彼の影響もあったとされる。1949年の人民政治協商会議には全国社会科学工作者代表会議準備会代表として参加。