●地理学 ちりがく
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【地理学の定義】地理学は,土地を記述するという意味の古代ギリシア語を語源とする。地理学は,われわれが居住する地球を基盤として生起する地表面の諸事象を研究対象とし,その地域的分布およびその地域的差異の体系化を究極の目的とする。すなわち地理学は,複雑で多様性を有する地表面の形態・機能・構造,そしてそれらの空間的関係・空間的変容などを全体的に解明する科学である。地形・気候・水・資源・生物・人口・文化・政治・経済・社会など,ほかの諸科学が考察の対象とする現象を統合的に取り扱うため,諸学の母と呼ばれ,総合の科学とみなされてきた。 現代の地理学は,研究視点の相違により,系統地理学と地誌学の2部門に大別される。系統地理学は一般地理学とも呼称され,一連の地理的現象群について地表面上広く探究し一般性を追求する部門である。合衆国のハーツホーンによれば,系統地理学は,物理的・生物的・社会的の3系に分けられ,物理系のなかには気候学・地形学など,生物系のなかには生物地理・人類地理,社会系のなかには経済地理・文化地理などが含まれるという。一方地誌学は地域地理学とも呼称され,地域それ自体の研究,すなわち地域的個性の記述をめざす部門である。つまり特定地域の多角的考察により,その地域の性格を総合的に究明する分野である。系統地理学も地誌学もともに地域の解明を課題とするが,両者の基本的相違点は,前者が分析に依存し一般化に重点を置くのに対し,後者は総合の産物であり,特殊化に重点を置く点にある。【地理学の歴史】地理学の起源は古く,ギリシア・ローマ時代には万学の祖とみなされていた。とくにギリシア時代には,植民活動が地中海・黒海沿岸に及ぶにつれ地理的知識はひろまり,また地球を中心とする宇宙論が盛んであった。地理学の父と呼ばれるヘカタイオスは,ギリシアにおける最初の地理書『ペリエゲーシス』を著し,また地球の形状について円盤説を唱えた。歴史家であるとともに地理学者でもあったへロドトス(前484〜前424ころ)は,ギリシア・ペルシアにおける地理や住民などについて,自らの旅行の見聞を加えた地誌的・民族学的素材を用いて組織的に記述した。またヒッポクラテス(前460ころ〜前375ころ)は,気候が人間の気質ばかりでなく,民族性や都市の立地にまで影響を及ぼすという素朴な地理的環境論を唱え,自然地理学の最初の礎を築いた。ヘレニズム・ローマ時代になると,地理学は数理地理学・天文地理学として発展した。エラトステネス(前273〜前192)は,初めて地球の大きさを測定するとともに,大著『地理学』3巻を著した。この著作は現存しないが,数理地理学に関する記述と諸国地誌が含まれていたといわれる。彼の思想はその後ストラボン(前63〜21ころ)に受け継がれた。彼はヨーロッパ・アジア・アフリカに関して詳細な地誌的記述を行い,『地理書』17巻を著した。プトレマイオス(87〜150)は,地図投影法を創案し,最初の科学的世界地図を作成した。
中世に入ると,キリスト教的世界観に支配され,地理学の発展は妨げられた。地球球体説は否定され,イェルサレム中心の円盤的世界図が流布した。しかし幸いにもアラビアの文化圏においては,地理学は重要視され,独自の発展を示した。プトレマイオスの著書がアラビア語に翻訳され,イブン=ハウカル(943〜977)やイブン=バツータらは,水準の高い旅行記を著した。イブン=バツータは,30年の年月を費やし,東は遠くインドおよびマレー諸島を探検した。
大発見(航海)時代に入ると,地理学的思想が復活し,新しい発展をむかえることになった。コロンブスのアメリカ大陸発見,ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路発見,マゼランの世界一周などにより,世界に対するヨーロッパ人の関心は高まり,コスモグラフィー的著作が多数出版されるようになった。メルカトル(1512〜1594)は有名な地図投影法を開発し,1544年にはミュンスターが,ストラボンにならって地誌の書物を出した。17世紀に入るとコスモグラフィーがしだいに姿を消し,ゲオグラフィアの時代になる。その先導的役割を果たしたのが,クリューフェル(1580〜1622)とワレニウス(1622〜1650)であった。クリューフェルは『新古普遍地理学序説』(1624)を著し,歴史地誌的方法論を樹立した。一方ワレニウスは地理学の分野を一般地理学と特殊地理学に分け,地理学の体系化と科学的世界像の概念化に努めた。18世紀には,『新地誌』を著したビュッシンク,『自然地理学』を著したカントなど,自然科学を基盤とした地理学が進展をみた。
19世紀は近代地理学の成立期にあたり,その基盤をつくったのがフンボルト(1769〜1859)とリッター(1779〜1859)であった。フンボルトは,地理学のみならず地理学の補助科学である多くの部門で活躍し,当時のドイツにおける科学と文化を指導する役割を演じた。彼の第一の業績は,気候学・火山地形・植物地理学などの自然地理学の確立であり,現代の景観学あるいは生態学に多大な影響を与えている。終生の著作『コスモス』は統一的記述としての地理学の基礎を築いたという点で評価される。一方近代地理学の祖とされるリッターは,フンボルトの精神を受け継ぎ,科学としての地理学の方法論を確立し,大著『地理学−自然および人類の歴史とのかかわりにおいて』(1817)を著した。リッターは,地理学の対象を地表に限定し,地表ないしは地域を一つの有機体とみなし,環境論をとって地理学の主題とした。そして彼は地誌的研究の成果を比較検討することによって客観的原理を追究しようとした。しかしながら彼の思想には,人間歴史の展開に神の意志が介在するという非現実的な目的論的見解を残している。彼はドイツの大学における最初の地理学講座の主宰者となり,キーパート・オーベルフンマー・ゲッツ・パルチュなど多くの門下生を育てた。
リッター以後の地理学は,リヒトホーフェン(1883〜1905)で一つのピークを迎えた。彼はフンボルトの地理学における自然科学的理念を取り入れ,地形学を体系づけた。彼は,地表面における形態・物質・営力・発生・動態をとらえ,地域的に現象間の相互関係・因果関係を明らかにすることに努め,かような地表面の認識をコログラフィーと呼び,古い地理学と区別した。代表的業績は,地形学の確立のほか,中国の地誌的研究および地表形態学の体系化などであるが,彼は政治・経済地理にも関心をもち,南極探険やベルリン地理学会に尽くした貢献も大きい。19世紀後半以後には地理学の専門分化が進み,ペンク・デーヴィスらによって地形学,クリュンメル・ショットらによって海洋学,ハーン・ケッペンらによって気候学がより明確に体系づけられた。
一方リヒトホーフェンと同時代にドイツの人文地理学に画期的な進歩をもたらしたのはラッツェル(1844〜1904)である。リヒトホーフェンが自然地理学の発展に寄与したのに対し,ラッツェルは当時まだ未分化だった人文地理学的側面に考察の原理を与え,『人類地理学』『政治地理学』『民族学』などの大著を著した。彼は,人類社会あるいは国家と地理的環境との関係を帰納的に論究し,生物学的環境論を唱えた。自然と人類との関係を自然科学的な普遍法則によって理解しようとしたのである。彼の生活空間や空間有機体の考え方は,後の地理学・地政学に大きな影響を与えた。フランスでは,ブラーシュ(1845〜1918)が,ドイツにおける地理学の伝統と遺産を取り入れながら,フランス学派と呼ばれる独自な新しい地理学を樹立した。彼は歴史学と地質学の結合に努め,ラッツェルの環境決定論を修正して,人間と環境の関係を追求し,地域における地的統一,そこにみられる生活様式を究明して地誌学を進歩させた。彼は,人間を人間の欲求達成に対して手段とも障害ともなる環境のなかで活動する能動的作用者としてとらえ,地表にみられるさまざまな文化を,人類の社会生活の歴史的発展に即して考察すべきことを主張した。彼の考え方は環境可能論と呼ばれ,後のフランス地理学会に多大な影響を及ぼすことになった。
20世紀になると,地理学の中心課題は,地誌から地域ないしは景観へと移行する。19世紀の地理学を20世紀の近代科学に新しく組織化しなおしたのはヘットナー(1859〜1942)とシュリューター(1872〜1959)である。ヘットナーは自然地理学と人文地理学という二元性を統一し,法則定立の学と個性記述の学の中間に位する新しい地誌学の立場を確立した。すなわちヘットナーは,自然と関係する限りでの諸事象を取り上げ,それらが相互に関連しあうひろがりを地理的地域とし,その個性の追究が地理学の本質であるとした。彼の考え方は,主著『地理学−その歴史・本質・方法』によく表れている。またヘットナーは,大陸・国土・地方・局地など各レベルの地域の特性を相互に比較考察することにより,地理事象の一般性をも追究しようと試み,比較地理学の分野を切り開いた。一方シュリューターは,ヘットナーの地誌的立場を批判し,景観の科学としての地理学を主張した。すなわち彼は,地表面の地域を景観としてとらえ,人類の活動により特色づけられた文化景観の形態を分析することが地理学の究極目的であるとした。さらに彼は,文化景観の形態学を系統発生学まで高め,その成果として『早期歴史時代における中欧の集落空間』を刊行した。ドイツにおける景観論は,『文化景観の形態学』を著した合衆国のサウアー,『1800年以前のイングランドの歴史地理』を編したイギリスのダービーなど外国の地理学者たちにも大きな影響を与えた。
第二次世界大戦後は,ドイツでは,トロール・シュミットヒューゼンらにより地域生態学,ボーベック・ハーンらにより社会地理学の研究が進められたが,新しい現代地理学はむしろ,合衆国・イギリス・フランスなどの諸国で開花した。合衆国では,地理学を地域分化の科学とし,地域のユニークネスを研究するものとしたハーツホーンを厳しく批判したシェーファーは,個性記述科学としての地理学を否定し,空間における事象の配列現象の一般性・法則性を追究する地理学の立場を主張した。これは一般に空間的立場と呼ばれ,1950年代以降,ワシントン大学を中心にした,ギャリソン・ベリーらの計量的方法を用いた地理学が発展するに及んで,国際的に地理学をリードするに至った。イギリスでは,1960年代の中ごろからケンブリッジ学派を中心に新しい地理学の運動がおこり,計量化と理論化両面をもちあわせた地理学を確立させた。ハーヴェイの『地理学における説明』(1969)は,新しい地理学の方法論を提示し,大きな影響を与えた。フランスでは,ジョルジュが地理学を社会科学の一部門として位置づけ,『世界の社会地理学』をはじめ多くの啓蒙書を著し,また自然地理学者ショレーは地理学を地理的複合体を研究するものと定義し,『地理学の方法論的考察』を刊行し,多大な視座を与えた。また,スウェーデンでは,1940年代後半からへーゲルストラントを中心に空間的拡散研究が盛んになり,ルント学派と呼ばれる独自の学派を形成した。
【地理学の諸分科】系統地理学は,地表面の自然現象を扱う自然地理学と人文現象を扱う人文地理学に分かれる。自然地理学はさらに地形学・気候学・陸水学・生物地理学・土壌地理学などに分類できる。「地形学」は,地表面の起伏形態を研究対象とし,その特徴・成因・変化などを解明する分野である。古くは地質学の一部門として扱われていたが,リヒトホーフェン・ペンク・デーヴィスらにより近代地形学が体系づけられた。「気候学」は,気温・雨・風などの現象について,大気の総合状態を面的に考察する分野である。気候の地域的な特性に関心を払うという点で,大気を個別的に物理学的方法で取り扱う気象学と区別される。近代気候学は19世紀後半以降,気象観測網の整備と呼応する形で,ハン・ケッペン・ガイガーなどによりめざましい発展を遂げた。現在気候学は,動気候学・総観気候学・古気候学・微細気候学・生気候学など多彩な内容をもつ。“陸水学”は,地表面上の陸水を面的に分析する分野である。陸水は河川・湖沼・地下水として存在するので,陸水学は取り扱う対象により河川学・湖沼学・地下水学に細分化される。陸水学と表裏の関係にある「水文学」は地球物理学の色彩が濃い。“生物地理学”は生物の分布を究明する分野で,生態的な研究から区系および生物地史的な研究まで及ぶ。世界のさまざまなレベルの生物共同体の分布を明らかにし,それらに対応する分布要因の説明を課題とする。取り扱う対象により,植物地理学と動物地理学に分かれる。「土壌地理学」は,土壌の生成過程と生成因子との関連性に着目し,各種土壌型の分布現象を把握し究明する分野である。すなわち土壌の性質と環境とのあいだには対応関係が存在するので,その関係を地理的な広がりと分布の面から考察するのである。人文地理学は,取り扱う分野によって経済地理学・人口地理学・集落地理学・社会地理学・文化地理学・政治地理学・歴史地理学に細分化される。「経済地理学」は,地表面における人類の経済活動に注目し,その立地・構造・機能を体系的に解明する分野である。経済現象の広範な地域的分布の説明に重点をおくものは一般経済地理学,特定の経済地域の地域的個性の記述に重点をおくものは経済地誌学と呼ばれる。また経済活動の配置や立地を解析する分野はとくに経済立地論と呼ばれ,チューネン・ウェーバー・クリスタラー・レッシュ・フーバなど多くの学者により発展させられてきた。経済地理学は経済活動の種類によって,農業地理学・林業地理学・水産地理学・工業地理学・商業地理学・交通地理学などに分けられる。一般に消費活動よりも生産活動に関する研究が活発であったが,最近では生産・消費を一括して扱う流通地理学の研究も進んでいる。「人口地理学」は,人口数・人口構成・人口変動などの人口現象の地域的分布あるいは地域的差異を究明し,地域差を生みだした要因を他の地理的諸現象との関連において解明しようとするものである。人口現象を通しての地域性の把握を究極の目的とするという点において,人口現象それ自体の性格を理解することに関心を払う人口学とは区別される。人口地理学の科学的体系化は第二次世界大戦後と新しく,また最近では計量的手法の導入により理論化・モデル化が志向されている。「集落地理学」は,人類が地表面を占拠して居住する地域を研究対象とする分野で,居住地理学とも呼ばれる。地理学諸分野のなかでも最も基礎的な部門で,対象が景観的に把握しやすいこともあり,古くから体系化が進んだ分野である。集落地理学の研究法は,(1)集落が発達した歴史地理学的考察に主眼をおく発生論的研究,(2)集落そのものの形態に注目し,形態分類そしてその原因分析を行う形態論的研究,(3)集落の社会・経済・文化的特性を扱う機能論的研究,(4)生活圏・行政圏・地域システム・地域計画などを扱う応用的研究に分けることが可能であろう。集落地理学は,扱う地域の性格にもとづき,村落を対象とする村落地理学と都市を対象とする都市地理学に大別される。諸地域の都市化傾向を反映して,最近では都市地理学の研究が活発である。「社会地理学」は,人類がつくるさまざまな組織や集団あるいは社会活動に着目し,それらの地域的差異とともに,それらがいかに地域形成に作用しているかを研究する分野である。社会地理学という名称はヨーロッパ諸国で用いられる場合が多く,とくにドイツ・オーストリア学派のなかのハルトケ・ボベックなどは,生産関係を主として扱う経済地理学と区別するためにこの用語を使用し,生活者としての人間や人口,社会発展の段階,社会制度・生活状態などの地理的分布や差異を重要視する。「文化地理学」は,文化的諸現象に関する地理学的研究であり,空間において人類が営んでいる文化のパターンや構造の解明を目的とする。文化そのものの概念が広範なため,広義には人文地理学と同義語として用いられることもあるが,サウアーは人文地理学を人類そのものの地理学的研究,文化地理学を人類のつくった文化の地理学的研究として区別した。社会地理学と重層する領域も多い。言語地理学・宗教地理学・民族地理学などは文化地理学の一分科をなす。「政治地理学」は,国家・市町村など政治・行政地域を研究対象とする部門である。政治地理学を体系づけたのは『政治地理学』(1897)を著したラッツェルである。国家を生活体とみる彼の国家有機体説は,マウルらに受け継がれ,政治地理学は主としてドイツで研究が進んだ。スウェーデンのチェレン,ドイツのハウスホーファーなどにより一時地政学が脚光をあびた時期があったが,戦後はムーディにより提唱された国内政治地理学,選挙や行政区に関する政策地理学など新しい分野が開拓されている。「歴史地理学」は,地理学の時間的部門を取り扱い,歴史時代における自然人文両現象の地域的特徴を究明する。過去という次元において,前述したすべての系統地理学が研究対象となるので,ハーツホーンの言葉を借りれば,歴史地理学はそれ自身で完成したもう一つの地理学ということになる。歴史地理学は資料の点からは遺跡歴史地理学と文献歴史地理学に,また方法論的観点からは歴史系統地理学と歴史地誌学に分けられる。また時間的視点にもとづき,先史地理学と有史地理学に分けられ,さらに後者は時代区分され,古代の歴史地理,中世の歴史地理,近世の歴史地理,近代の歴史地理に分類可能である。
【新しい地理学の動向】1950年代以降,従来の個性記述的科学としての伝統的地理学にあきたらず,一般化・理論化により地理的事象の法則定立化をめざす新しい動きが台頭した。かような地理学の革新は,計量的手法の導入によって展開されたので計量革命と呼ばれ,計量地理学という一分野を築くことになった。この分野における方法論的枠組は,法則追究の科学としての地理学を提唱したシェーファー,そしてそれに科学哲学的基礎づけをしたハーヴェイなどにより体系づけられた。これらの動きとは別に合衆国の経済学者アイザードは,地域経済学に計量的手法を導入し,地域科学という分野を確立した。以上のような一般的法則に依拠する空間科学に対し,1960年代からは,法則追求とともに,関連ある個々人の思考・行為をも考慮し,地理的イメージと人間行動に焦点を当てた行動地理学の研究が盛んになった。ウォルポート・ゴリッジらにより,空間的文脈における意志決定過程に関する研究が確立され,政治的行動・革新の伝播・選択行動・メンタルマップなどの研究が深化した。そして1970年代には,人間行動に時間的要素を明示的にとり込んだ時間地理学もスウェーデンのルンド学派を中心に行われるようになった。以上のような空間科学としての行動地理学とは別に,景観論の系譜をひく人間論的行動地理学も1970年代に入り注目されるようになった。その代表は,グエルケを中心とする観念主義人文地理学,レルフを中心とする現象学的地理学,そしてトゥアンを中心とする人文主義地理学である。このようなアプローチは,科学がその概念的枠組として取り入れることができないものを明らかにしようとする立場に立つ。近年の新しい動向としてもう一つ特筆しなければならないのは,自然科学をも含んだ多くの学問分野でおこったラディカル科学運動の一環をなすラディカル地理学の台頭であった。資本主義体制下における社会矛盾がラディカルな科学を生み出すとし,ラディカル地理学はその一部を担うものと位置づけられる。以上のように現代の地理学は,斬新なアイデアを多く含んでおり,今後の発展が期待される。
【日本における地理学の展開】日本最古の地理書は,713年(和銅6)に編纂が開始された『風土記』である。諸国に命じて,各地の産物・地名説話・伝承などを記述したものであるが,現存するのは常陸・播磨・出雲・肥前・豊後の5国についての記載だけである。最古の日本全図は僧行基(668〜749)による『行基図』で,日本全体が丸みを帯びた形で8道68国が示されている。奈良時代以降桃山時代までは,諸国の産物に関する記事がみられる延喜式および和名抄(平安時代)などを除くとみるべき地理書はみあたらない。江戸時代になると,幕府による領内調査と地誌編纂の奨励にもとづき,多数の地誌書が作成された。藩撰地誌では『会津風土記』,私撰地誌では『摂陽群談』などがその代表としてあげられる。この間に世界に対する知識も広まり,新井白石は『西洋紀聞』(1709),『采覧異言』(1712),そして西川如見は『華夷通商考』(1695)という世界地理に関する書物を著した。また鎖国時代には,洋書解禁令以来,オランダおよび中国から多くの地理書が輸入され,ヒュブネル著『地図略説』が本木良永により翻訳され,また大槻玄沢・桂川甫周の『万国図説』(1785),橋本宗吉の『新訳地球全図』(1796),朽木昌綱の『新撰泰西輿地図説』(1789)などが世に出た。この間にオランダから近代測量法が輸入され,日本地図の製作も進展した。長久保赤水は官撰日本全図に改修を加え,『大日本輿地路程全図』(1779)を出し,伊能忠敬は日本全土を実測して『日本輿地全図』(1800)を作成した。明治時代になると,内務省に地理局が設置され,国家事業として地誌編纂に力が注がれた。1875年(明治8)には『日本地誌提要』7巻が完成した。また測量にも力が入れられ,1884年には陸地測量部が設けられ,1892年から5万分の1地形図の刊行が始まった。このあいだに1879年には東京地学協会が発足,「東京地学協会報告」が創刊された。明治40年代には,京都大学と東京大学で地理学の講義が始まり,地理学研究の専門化が進んだ。第二次世界大戦後は欧米の研究成果が移入され,現在,欧米の地理学方法論は日本の地理学会に大きな影響を与えている。