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●チョクロアミノト

アジア インドネシア共和国 AD1882 オランダ領東インド

 1882〜1934 インドネシアのイスラーム同盟総裁として1910年代の民族運動で重要な役割を果たした指導者。プリヤイ(貴族)の家に生まれ,原住民官吏養成学校で西洋教育を受けた。卒業後官途についたが,3年で官を辞した。一時期ワヤン(影絵芝居)劇団に属し,地方巡業で大衆の生活に触れた。1912年,請われてイスラーム同盟総裁に就任。勇気ある発言と雄弁でジャワ農民に救世主と仰がれ,会員数は爆発的に増加し,一説では1919年には200万人を超えた。1918年,創設間もない国民参議会に植民地体制の大幅な変革を求める動議を提出。翌年,イスラーム同盟は地方支部の暴動事件を機に弾圧を受け,会員数は激減。チョクロアミノトもその後投獄され,実質的な指導力を失っていった。共産主義からイスラーム改革主義に至る多様な勢力を含んだ組織の統一を維持すべく妥協を重ねたため,強力な民族指導者たり得なかった。