●長宗我部元親 ちょうそかべもとちか
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1538〜1599(天文1〜慶長4)戦国時代の大名。国親の子で幼名弥三郎。1560年(永禄3)家督を継ぎ,本山・安芸氏らを打倒し,香宗我部・吉良・津野氏とは縁戚を結び,1574年(天正2)一条兼定を豊後に追い,翌年土佐東部を平定して土佐を統一。さらに阿波・讃岐・伊予に出兵して1585年(天正13)四国を制覇したが,同年豊臣秀吉の軍に敗れ土佐一国を安堵する。翌年秀吉の九州征討に出兵し長男信親を失う。1588年(天正16)岡豊城より大高坂城に移り,秀吉の小田原征伐に従軍。1591年(天正19)ごろさらに浦戸城に移転す。文禄・慶長の役に出兵して戦功をたてた。土佐国分寺金堂・土佐神社社殿をはじめ多くの社寺を修復。仏教・儒学に関心をよせ,南学を奨励し,和歌・連歌・茶道をたしなむ。1587年(天正15)より土佐全土を検地し今に残る『長宗我部地検帳』は貴重な文化財,また「長宗我部掟書」(元親百箇条)は分国法。1596年(慶長1)サン=フェリペ号漂着を処理す。伏見で死去し法号は雪蹊怒三大禅定門。〔参考文献〕山本大『長宗我部元親』1960,吉川弘文館
平尾道雄『長宗我部元親』1966,人物往来社