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●長宗我部氏 ちょうそかべし

アジア 日本 AD1538 室町時代

 土佐の豪族で戦国大名。秦氏の子孫といわれ,平安末期〜鎌倉初期ごろ秦能俊が信濃より土佐国長岡郡宗部郷(高知県南国市)に移り,子孫は地名をとって長宗我部氏を名のり岡豊城を本拠とした。7代兼光のころ庶流を派生し,11代信能は足利尊氏に属して活躍する。1345年(貞和1)ごろ12代兼能は吸江庵(高知市)の寺奉行となり,代々この職を受け継ぎ,守護代細川氏の入国後はその下で北朝方として行動。17代元門は父文兼の命に背き,弟の雄親が18代の家督を継いだ。1508年(永正5)ごろ19代兼序は本山・山田・吉良・大平らの豪族に攻められて敗死し,子国親は幡多郡中村で一条房家に養育される。1518年(永正15)岡豊城に帰り家を再興したが,1560年(永禄3)本山氏と対戦中急死,子長宗我部元親は土佐を統一し,四国を平定したが,1585年(天正13)夏豊臣秀吉に降伏し土佐一国を安堵される。その子長宗我部盛親は関ケ原の戦いで敗れて国を追われ,大坂の陣で豊臣方に属して戦ったが捕われて斬られ,長宗我部氏は滅亡した。

〔参考文献〕山本大著『土佐長宗我部氏』1974,新人物往来社